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オセロー シェイクスピア 感想とレビュー 人を裏切り欺くなかれ

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今回はマクベスに引き続き四大悲劇の一つオセローです。
シェイクスピアの数ある悲劇の中でも幾分風変わりなのがこの作品の特徴です。先ず主人公がオセローとはなっているものの、オセロー自身は能動的ではなく、常に受動的なのです。能動的なのはその軍の旗手であるイアーゴーという男。
この物語、将軍であるオセローと絶世の美女デスデモーナの恋から始まります。将軍オセローはムーア人で、この当時のヴェニスでは卑しい種族とみなされていました。
部下であるイアーゴーなにがそんなに気に食わなかったのかという理由もそこまで論理立ったものはないのですが、ともかくムーア人が大嫌いだったよう。
自分の妻が同じイタリア出身ということでデスデモーナと親密であることをいいことに、策士策を弄しに弄し、あらゆる手段を使って自分の上司をはめていきます。軍の副官で、自分とも将軍とも仲の良いキャシオー、この人物がキーマンになるのです。
根性の腐れ果てた旗手イアーゴー、偉大にして高潔な将軍オセローの目を欺くためにキャシオーから手始めにわなにかけます。
酒癖の悪いキャシオーを何とか酒に酔わせ、デスデモーナに惚れてオセローを憎んでいる馬鹿なぼんぼんロダリーゴーをけしかけ暴動を起こしそれによってキャシオーは免職。デスデモーナとも仲の良かったキャシオーは彼女にも反省を打ち明け復職を望みます。イアーゴーは将軍を陥れるには嫉妬の炎しかないと確信、新妻デスデモーナとキャシオーとの間に何か不穏な動きがあるようですと報告します。
もちろんすぐにその言葉を鵜呑みにしてしまうオセローではありませんが、様々な策により次第に妻に対する疑念が深まっていきます。オセローがデスデモーナに贈った大事なハンカチーフを偶然にもイアーゴーの妻エミリアが拾ってしまいます。これを手に入れたイアーゴー、これをキャシオーの部屋に落としておきます。そしてオセローにあなたが奥方に贈った大切なハンカチをキャシオーが持っているのを見たと報告するわけです。
いよいよ嫉妬の炎に身を焦がれるオセロー、終にイアーゴーの腹黒さに気がつくことなく、キャシオーとデスデモーナを殺そうと決心します。イアーゴーはそれまで散々デスデモーナの為にと称して使用してきたロダリーゴーをキャシオーに差し向けます。その間オセローは妻デスデモーナにありもしない罪をなすりつけ絞め殺してしまいます。
キャシオーが襲われ襲ったロダリーゴーも倒れ万事上手くいったかと思われたとき、イアーゴーの妻にしてデスデモーナの友人でもあったエミリアがその身を張ってこれが自分の夫の策であったことを悟り、オセローその他駆けつけたものたちに説得します。
事実が露呈しそうになったイアーゴーは妻であるエミリアを一刺し、エミリアは絶命します。しかし、幸いにも命を取り留めたキャシオーとロダリーゴーがこの事実を知り、ついにイアーゴーは刑に処されることとなります。

さて、私たち現代人がこの物語から学べることは何でしょうか。人を策に落としいれば自分もただではすまない、嫉妬の心はどんな偉大で高潔な人間をも狂わせてしまう、いろいろありますね。しかしこの物語を読んでいると、オセローへの策が成功しろと願っている自分がいつの間にかいたりするものです。
この物語、シェイクスピアには珍しい家庭内での悲劇です。しかし、そうした身近なところにも悪の芽生えがあるということも同時に思い知らされるに至ります。
たんなる小説としても十分に面白いものです。先ほども言いましたが、イアーゴーの策が失敗しそうになるとこちらもはらはらどきどきしたりしてなかなか心休まらずといった感じ。
誰しもが一度美女を手に入れてしまったら、恐れることは彼女が我が手中から逃れること、つまり他人との不貞です。うーん私もかつては苦い経験をしましたからね、皆さんも嫉妬の炎に自分の身を焼かれることのないよう気をつけていただきたいものです。
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美空ひばり その人生、不死鳥の如し





最近ものまねタレントの青木隆治さんによって再び脚光を浴びている美空ひばり、今回は彼女についての記事です。私、昨日図書館でひばりさんの東京ドーム公演のLDを引っ張り出してきてもらって観ました。あまりの素晴らしさにとても形容しきれない。
何故死後20年もたったいま再び注目されるのか、その謎についても迫っていきたいですね。
美空ひばりは1937年(昭和12年)に生まれ、1989年(平成元年)6月24日)に亡くなっています。1989年は昭和最後の年でもあり平成元年でもあるわけで、その点においてもまさしく彼女は昭和の歌謡界を代表する女優そして歌手であったのです。
彼女は数々の功績によってもはや伝説から神格化され、辞典にも載るほどです。女性として初の国民栄誉賞を受賞したことでも有名ですね。
今回は彼女の1000曲にも及ぶ歌の中から私のとっておきをご紹介致しましょう。
今の若い方は美空ひばりと聞いても「川の流れのように」や「愛燦燦」くらいしか出てきませんかね。しかし彼女にとって「川の流れのように」は死の直前の曲で、大きな公演では殆ど歌われていません。
昨日私が観た最後の大舞台、東京ドームでのコンサート「不死鳥」にも出てきません。このコンサート、彼女が重度の慢性肝炎及び両側大腿骨骨頭壊死と診断され、絶対安静が言い渡され一時は死にかけたところからの天晴れなまでの回復後に行われたものです。
当時は完全回復といてこのコンサートに挑んだ彼女でしたが、実際はこの舞台の後に次第に病が悪化していきます。
映像は上が35周年記念の際の武道館ライブ。下が東京ドーム公演。
間に67年の月日があるとは言え、東京ドームのほうは明らかに痩せています。
ドーム公演のエンディングでは(この映像のあと「人生一路」を歌いその後)、約100mもの花道をゆっくりと歩を進めます。彼女の顔は、まるで苦痛で歪んでいるかのようでもありました。とても歩ける状態では無かったにも拘わらず、沢山のひばりファンに手を振り続けながら全快をアピール。そのゴール地点には息子・和也が控え、彼女は倒れこむように和也の元へ辿り着いたといいます。
これがひばりの伝説のステージと今尚語り継がれるものです。彼女はこのコンサートのわずか1年後に亡くなります。

さて、35周年のライブで気づくのが観客の拍手のタイミングが今とは違うことですね。ライブなんかに行きますと殆ど拍手は歌の始まりか終わりにしか起こりませんよね。しかし一曲目「この道を行く」では、歌の中途、歌が私の命なら、燃える望みを唇にの部分で拍手が起こります。二曲目の「歌は我が命」では、この次この世に生まれたときでも、やっぱり私は歌っているだろうの部分。
一体今とこの時代となにが違うのでしょうか。
単に社会や時代が違うといえばそれまでです。しかし私はそうは思わない。歌を聴いているとまるで彼女が私たち一人ひとりに語りかけてくれているように感じませんか。それと同時に自分にも意志を再決意を語っているようでもあります。そんな彼女に対する応援と感謝の気持ちを込めての拍手、感極まるとはこのこと。ここに今のライブの途中では拍手が起きない原因もあると思います。観客とアーティストの心が本当に通じ合ってはいないからなのではないでしょうか。
「歌は我が命」、これは私の一番好きな曲なのですが、やはり歌詞にもあるとおり私たち心が彼女の歌を欲し開いていれば彼女は美空ひばりはいつでも私たちにうたってくれるのです。
生涯最後の言葉は医師団に対して「よろしくお願いします」とだったそうです。ここからも彼女の人間性を垣間見ることができると感じます。

私は平成生まれですがこの20余年でひばりを超えるような歌手が出てきたでしょうか。私は一生彼女を超える歌手は出てこないと思います。なぜなら美空ひばりは未だ私たちの胸の中で生きているからです。彼女の歌と言葉は私たちの血となり肉となり今も脈々と私たちとともに歩んでいる、そう何度でも蘇る美しい不死鳥のように。


余談ですが名曲『川の流れのように』の作詞はなんとあの秋元康なんですよ。しかもこの「川」、何の川かと思えばニューヨークのイーストリバー。飛行機の不時着で有名なハドソン川のすぐ隣ですね。その事実を知ったとき、なんだよ日本の川じゃねーのかよと思いましたね。こんな素晴らしい曲を書く人がなんでいまAKBをやっているのか理解に苦しみますが・・・。
それともう一つ。私の母が花屋さんで働いていたときのこと、何十年も前ですが、美空ひばりが花を買いにやってきたことがあったそうです。でも最初はノーメイクだし小さいしでわからなかった。御付の人が彼女のことを「お嬢」と呼ぶので気づいたとか。普段ステージでは見れないちょっとおかしな一面ですね。

マクベス シェイクスピア 感想とレビュー 四大悲劇最後にして最高 本当にマクベスは悪人か

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古典と呼ばれるものがどうしてそう呼ばれるのか。そこにはきちんと意味があり、ただ単に広く世間で知れ渡っているからということではありません。そして活字離れが深刻化してきているなか、古典は人々の必読の書となりつつあるのです。
日本の本も良いのですが、外国のものも読んでみようという心持になって海外文学の古典であるシェイクスピアを今読んでいます。今回はマクベス。
これはシェイクスピア四大悲劇の一つに数えられます。そのなかでも一番最後に書かれたものらしいのですが、文豪シェイクスピアはその謎も未だ多く、この作品も現在の形より以前はもっと長かったのではないかという研究もされています。
シュイクスピアは日本で言う芥川のように史実に基づいてその話を構成します。マクベスという人物も実在しました。これはそのマクベスが王を暗殺し王冠を頂こうという話。権力欲に溺れた人間がその後どういう結末を迎えるのか、どこかの政治家にも是非読んでもらいたい本であります。
物語初期、マクベスはどうも王の暗殺に乗り出せるような人物ではありませんでしたが、そこはまさに悪妻というべく妻がマクベスを叱咤します。無事王の座を手に入れたマクベスでしたが、一回行った悪行は続くもの。
この物語のキーとなるのが三人の魔女です。最初に戦地から戻ったマクベスと友人のバンクォーにマクベスには王になる、バンクォーにはその子孫が王になるという予言をもたらしました。
しかしいざ王となったマクベスは、人間不信や妄想にとらわれて、ついには自分の王の座を友人バンクォーの子孫に渡してなるものかということになり、刺客を向けて亡き者としてしまいます。
ところがその霊があらわれたり、前王の子孫が兵を集めたりしてマクベスとその妻は次第に正気を失っていきます。最後はマクベスに対抗するべく立ち上がった兵たちによって打ち負かされるのですが、ここから学ぶべきは権力欲に溺れ、自分の上司や友人をも手に掛けるとどういうことになるのかということだと思います。
私も少々愚痴をしますと中学高校と友人と思っていた何人もの人間に裏切られました。今でもその恨みはなかなか癒えませんが、そんなことをしていると私が直接手を下さなくとも何が待ち受けているかわかりませんな。
しかし研究、史実基づけばマクベスはここまで極悪非道というわけではないようです。そもそも11世紀の時代下克上は当たり前のように行われていたのでマクベスが別段悪いということでもない。しかも物語では完璧で偉大な王とされた前王ダンカンは史実では権力欲に溺れていたのはこちらのほう。打たれても何もいえないような人物だったとか。それにマクベスはその偉大な功績もあり17年間国を治めたとあります。
これはもちろん歴史を元とした物語ですから本気で全部信じてしまうのではなく楽しみながら読んだほうがよさそうです。

文鳥・夢十夜 夏目漱石 感想とレビュー 短編集から見えてくる漱石の人物像

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今回は私の専門でもある夏目漱石についてその作品の中から今しがた読み終えた文鳥・夢十夜についての記事です。
小説の父とも称される夏目漱石、旧千円札でおなじみですね。ただ私からしてみれば漱石先生は群を抜いてというか、すでに桁が違うレベルの作家なのですね。なので福沢諭吉が一万円札なのはおかしいと感じる。それに野口英雄に代わってしまったのも納得がいっていませんな。
作品は短編集。漱石先生は割と中編から長編を書きますが、人生の中での短編を集めたのがここに入っているというわけです。短編集は他に倫敦塔・幻影の盾があります。こちらも少々紹介するとして今回の部立は、
文鳥
夢十夜
永日小品
思い出す事など
ケーベル先生
変な音
手紙

文鳥と夢十夜は有名な短編ですね。文鳥では漱石先生自身がその弟子から文鳥を飼うことを勧められて、その文鳥の死までを淡々と描いた作品。純文学ですから変なものが登場したりとかそういう現代的なおもしろさはまったくありませんが、ここがやはり日本の小説の原点であるわけです。淡々と綴っているなかに漱石自身の考え方や感情が垣間見え、100年前の人間がどういった生活をしていたのかという参考にもなります。
夢十夜は夢を10個ならべただけですが、ここに文学のエッセンスがあると感じます。どの夢も23ページで終わり、内容も夢ですから理論整然としているわけでもない。しかし、今の我々が何故か読みいってしまう何かがあるのです。
永日小品は完全に短編の寄せ集め。しかし侮ることなかれ。もし受験で夏目漱石を出題する学校があればその問題のほとんどはこの短編集から出題されます。一応国語教師志望なので書いときますね。なので大学受験まで少し余裕があり漱石が出そうな方は読んでおくとよいでしょう。
思い出す事などでは漱石自身が修善寺での胃潰瘍による大量吐血のことについての回想記録となっています。このときは本当に死にかけていたのでそれをまじまじと自分であとになって思い出し書き綴る心境がいかなるものかという想像もして読むと面白いかも知れません。小説内で漱石は「先生死に給うことなかれ」という応援のメッセージを多数の人に頂いて嬉しかったとあります。もちろん与謝野晶子の弟に向けたあの文句をもじっていますがおかしいですね。そういえば議員の与謝野さんは縁者ですよね。石原知事が前に与謝野氏に対して「君恥じかき給うことなかれ」なんて言っていたことがありましたね。
話が反れました。ケーベル先生は漱石の大学時代の恩師を書いたもの。
変な音では入院中に聞いた変な音について周りの入院患者が死んでいくなか自分だけが生き残ってしまったことへの感情とともに描かれています。
手紙は縁者である重吉というもと書生について、縁談を中心に動く人間模様を描いています。
思い出す事などのなかで死と直面した漱石がなにを考えたのか、そして彼が何についてそこまで悩み胃潰瘍となるまでになったのかが一瞬窺える文章があります。
「自活の計に追われる動物として、生を営む一点から見た人間は、正にこの相撲の如く苦しいものである。吾等は平和なる家庭の主人として、少なくとも衣食の満足を、吾等と吾等の妻子とに与えんがために、この相撲に等しい程の緊張に甘んじて、日々自己と世間との間に、互殺の平和を見出そうと力めつつある。戸外に出て笑うわが顔を鏡に映すならば、そうしてその笑いの中に殺伐の気に充ちた我を見出すならば、更にこの笑いに伴う恐ろしき腹の波と、脊の汗を想像するならば、最後にわが必死の努力の、回向院のそれの様に、一分足らずで引分を期する望みもなく、命あらん限りは一生続かなければならないという苦しい事実に想い至るならば、吾等は神経衰弱に陥るべき極度に、わが精力を消耗するために、日に生き月に生きつつあるとまでいいたくなる。
かく単に自活自営の立場に立って見渡した世の中は悉く敵である。自然は公平で冷酷な敵である。社会は不正で人情のある敵である。もし彼対我の観を極端に引延ばすならば、朋友もある意味に於て敵であるし、妻子もある意味に於て敵である。そう思う自分さえ日に何度となく自分の敵になりつつある。疲れても已め得ぬ戦いを持続しながら、煢然(けいぜん)として独りその間に老ゆるものは、見惨と評するより外に評しようがない。」
漱石先生はここに西欧近代自我をとりこんでしまった日本人の有りようを端的に描いて見せてくれました。その結果今にもたらされたのが独善的な個人主義、義務を全うしない権利権利と主張するもの、何でもかんでもプライバシーと騒ぎ立てる連中などなどですね。
それとあと一つ途中にある消耗ですが、これはしょうもうとは読みません。しょうもうは本来誤り。正しくはしょうこう。しかし現代においてはもう殆どしょうもうで通ってしまっているので「今日は体力を随分しょうこうしてしまったよう」というような文学かぶれは辞めたほうが良いかもしれません。誤用であってもそれが人口に膾炙すればそれもまた日本語なのです。

立体・造形、作品 『天空の城ラピュタ』 ラピュタをつくってみた

回覧者数1000人突破おめでとうございます!でも秋分の日だけで750ってどういうことでしょうか。一体何が起こった?
拍手はジャッキーエヴァンコに集中してますからそれがヒットしたのでしょうか?ともかく今回は、見てくださった皆さんへの感謝の気持ちも添えて、去年作った人生最大の作品をご紹介致しましょう。
私がジブリ映画の大ファンだということは以前も書きました。そのなかでも私が一番好きなのは天空の城ラピュタ。小さいころから大好きで大好きで、特にムスカ大佐はネット上でもかなり有名な方ですね。そんなこんなで去年ついぞ「作ってやる!」という満身の意志をもってしてラピュタをつくりました。満身というくらいだからやはり完成後の私の全身は満身創痍。とくに手はかなり傷つきましたね。彫刻等やカッターをふんだんに使用していますし、いくら慣れていても失敗はあります。
製作期間はかなりつめて頑張ったので3ヶ月でできましたが、一日何時間もやっているので相当大変でしたね。費用もかなりかかりました。正確に勘定できる資料が(レシート)残っていないので細かくはわかりませんがおおよそ67万程かかったでしょうか。私も作品を作り始めると結構金の使いが荒くなるのでいけませんね。
作り方は木で骨組みを作り、それに張り子のように新聞をぺたぺたして太らせます。最後に石粉粘土というちょっと特別な粘土でコーティングします。この粘土なんと固まると石膏のように硬くなって彫刻等で削ることができるのです。だから最後はやすりをかけたり彫刻等で彫ったりして細部を仕上げる。
まあそんなこんなで出来たのが以下の写真。
これが全体像ですね。木が骨組みなので10キロ以上あってとても一人ではもてない。二人でも厳しいですね。幅は1メートルちょっと。高さは1、4メートルくらいですね。


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下の写真はそれぞれわっかを下から撮ったものと城の背部の崩れた部分を表現したところです。
ここもかなり拘りましてなかなかがんばったでしょ?感想を持ちましたらどうぞコメントしてください。
ところでこの写真は学校側に掛け合って校内の大ホールで展示させていただいた期間のものです。今思えばめんどくさい生徒がいたものですね。
駄目元でスタジオジブリさんのほうに写真を送ってみたのですが、なんと見事に音沙汰がありませんでした。そりゃそうですよね。「よく作ってくれませした、どうか寄付していただけませんか」とはなりませんでした。二次創作なのでコンテストなどにも出せないのでその点ではちょっぴり残念。
さて今現在ラピュタがどうなっているかというと吾が家の屋根裏にしまってあります。しかしそこまで運ぶのにこれだけのものですから大変で、ぶつかりまくった挙句ラピュタは見るも無残な最終形態、バルスのあとのようになってしまいました。
しかし大丈夫。ムスカ大佐も仰っていた通り「ラピュタは何度でも蘇るさ。なぜなら人類の夢だからだ」。

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立体・造形、作品 『ドアプレート』 妖精と森をモチーフとして

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私以前からなにかものを作ったりするのが好きで、これは2年前の作品なのですが、出来がいいので紹介いたしますね。
これ最初は自分の部屋のドアによくある「~の部屋」みたいなのを作ろうとしたんですが、製作している間にだんだん大きく重くなってしまいとても扉に掛けられるものではなくなってしまいました。
本体は木でできています。丁寧に切ったあとやすりまくる。下地剤を塗って絵を描く。木のような部分は樹脂粘土という特別な粘土で作りました。これは乾いて完成してからもある程度の弾力性がある粘土なので細い部分も折れたりしないのです。緑の部分はジオラマ作るときに使う緑色のスポンジのようなものをつけただけです。
作っている間にだんだん楽しくなりましてね、そして凝りまくってしまったのです。名前の部分は透明性がどうしても欲しかったので(真ん中に描いているのは森の中の妖精ですからね)、科学の先生の協力を得て、ガラス管をガスバーナーで熱して折り曲げたりして作りました。だから割れ物注意なのですがこれにはかなり気合がはいっていましたね。
そして暗い中で光ったらいいなと思いまして、今話題のLED電球(これを製作したのは2年前ですから先駆けですな)、も使ってみました。光ったときの写真が下のやつですね。
作品の一番下のものは造花ですね。私の母がフラワーデザイナーということもあって影響を多く受けたのでここにも生かしてあるのです。このくらいの作品であれば製作日数は12月、材料費は34千円といったところですね。皆さんも何か作ったものがあったら見せてくださいね。楽しみにしてます。

ペンギン・ハイウェイ  感想とレビュー もりみーの新境地とは お姉さんはすくわれたのか

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森見氏のまったく新しい小説です。なんと今回は研究好きで至極まじめな少年が主人公。歯科医院のお姉さんや研究仲間の友人、よき父や母、まだまだ子供な妹と平和に暮らしていたのだが、突如街にペンギンが出現するという事態が起こる。
ペンギンのことについて研究を続けていると、なんとお姉さんがペンギンを出現させることが判明した。ビを空中に投げるとたちまちペンギンへと変身した。しかしお姉さんも何故自分がペンギンを出せるのかわからないらしく研究してくれと少年に依頼する。
少年の友人はペンギンを捕まえていたと少年に打ち明ける。しかしなんとそのペンギンは捕まえたときから飲まず食わずで三週間、しかし依然として元気のままであるという。少年はこれをペンギンエネルギーだとした。
あるときクラスメイトのハマモトさんという少女から一緒に研究しないかという誘いがある。しかし、その研究とはなんと草原に浮かび続けている大きな水の球体なのであった。拡大と縮小をある期間をもって続ける球体。具合が悪くなったりするお姉さん。ペンギンについて、なかなか研究の成果を出せないであせる少年に父は、もしかしたらいくつかの問題の根源は一つかもしれないと教えてくれる。
やっと研究が終局に近づいてきたと思ったら、なんとハマモトさんのことが好きで、そのハマモトさんと仲良くしている少年が大嫌いなガキ大将のスズキ君が新種の生物(実はお姉さんが出した)を捕まえて公にしてしまったために研究者たちが押し寄せる。
ちょうどそのころ水の球体とお姉さんとの関係が判明し、このままではお姉さんがピンチに!
少年の視点から綴られたこの小説、お姉さんに対する淡い恋心がなんとももどっかしくてなおかつ爽快です。小さいころって年上のお姉さんに憧れることってありますよね。私は今でも年上のお姉さんは大好きですが、今の私が恋心を抱いたとしてもドス黒くってなんだかばっちいだけですよね。この小説はそんな爽やかで美しい恋を彷彿させてくれました。
少年への回帰、ノスタルジーというのでしょうか過去に置いてきてしまった大切なもの、今ではなんだったか思い出せない
けれど、そんなものをもう一度思い出させてくれるような小説です。これは森見氏の本を読んだことがなくても十分楽しめます。物語中しばしば少年の大好きなおっぱいについての記載がありますが、まあそれはこの少年に免じて多めに見てあげましょう。

宵山万華鏡  感想とレビュー まるで狐につままれたよう どうか宵山にはお気をつけください

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京都の代表的なお祭りに宵山があります。山鉾巡行の前日、16日が「宵山」と呼ばれるそうです。
この祭りなんと何万という人が京都の町中にあふれごった返しもいいところ。中には一方通行になる道も出るそうで、迷子続出の大お祭り。そんなお祭り宵山を舞台としたのがこの小説宵山万華鏡。
森見氏といえば京都の不思議を書くことも得意としています。きつねのはなし、有頂天家族に続く京都ミステリーの傑作だと思います。
この小説、表紙もかわいいし万華鏡なんてなまえが付いているし、なんだか楽しそう!と思っている女性諸君(男性諸君には興味がない)、ちっとも楽しくない。面白いには面白いが、むしろ怖いと表現するほうが適切でしょう。
一見華やかに見えるお祭りでも、実はそのすぐ裏には人間の力を遥かに超えた現象が起こっていたりする。そんな怖さを味わえますよ。
万華鏡って本当に綺麗ですよね。いつ見ても美しいと感じられるし、一旦見始めるとなかなか目を離すことができなくなる。でもよく考えてみたら、この光景は自分にしか見れないし、そしてもう二度と同じ光景を見ることができないというこわさも実はあるのですよね。
人々心寄せられる祗園祭宵山、しかしそこはもしかしたら万華鏡のような世界なのかも知れません。
宵山姉妹では幼い姉妹がバレエ教室の帰りに、宵山をちょっと見てみようというところから物語りは始まります。絶対に手を離してはいけないと思ってはいたものの、怖い坊さんにばったり出くわしたときに手を離してしまう。人々でごちゃごちゃになっている中、姉妹は再び出会えるのか。そして楽しそうに遊ぶ金魚のような赤いひらひら浴衣を着て街をちらちら動き回っている少女たちの存在は。
宵山金魚ではある大学生が京都にいる友人と会う約束から始まります。しかしひょんなことから神聖な領域に立ち入ってしまうその大学生は、なんとそこで祭りの神である宵山様の気に障るような粗相をしてしまう。たちまちにして取り囲まれる大学生、そして目隠しをされた上連れて行かれた奇怪な場所では、宵山様に仕えるという骨董屋、妖艶な女性、白塗りの大坊主、そして最後に待ち受けるは巨大な金魚。果たして大学生の運命はいかに。
宵山劇場ではある大学生が友人にいたずらをしようというところから始まります。なんでもお祭りの神様である宵山様というのをでっち上げ、友人を驚かすために大掛かりなセットを準備。宵山様には巨大な金魚を、その使いのものたちには、ひょろひょろした骨董屋、着物を着た女性、白塗りにした大坊主を配役、なかなか計画が上手く進まないなか、果たして友人を見事驚かすことはできるのか。
宵山回廊、主人公は千鶴という女性。かつて宵山祭りでいとこの女の子と一緒だったのが離れ離れになってしまい、結局今でもその子は見つかっていないという恐ろしい過去を持つ。いよいよその宵山が始まり、用事でいとこの父に当たる叔父の家を訪ねる千鶴。叔父の様子が変である。なんと叔父は自分の娘を、先日の宵山で見つけたというのである。恐怖を覚えた千鶴だが、その彼女もまた宵山の万華鏡の世界に取り込まれていく。
宵山迷宮、主人公はバレエ教室のしたにある骨董屋の主人。父のなぞの死から一年。いよいよ宵山が始まる。そんななか画伯であり、かつて娘を宵山で失った常連がやってきて変なことを言う。そしてそれと前後してある人物から家にある水晶玉をくれないかという連絡がある。そこから彼は宵山の万華鏡に入りこんでしまう。いつおきても同じ日の朝の連続。何日起きても宵山の始まり。何日おきても。その世界から主人公は抜け出すことができるのか。そして父の死の真相は。
宵山万華鏡、宵山姉妹では妹の視点で描かれていた物語が今度は姉の視点から。妹が手を離してどっかに行ってしまったのを探すのだが。白塗りの大坊主や着物をきた妖艶な女性。そして金魚のような真っ赤でひらひらの着物を着た宵山様と人から言われる少女との出会い。宵山様は彼女にあるものを口にするよう何度も誘う。何回も断る姉。恐怖を感じ、その場から逃げ出し妹を追う。見つけたはいいもののすいすい人の間を抜けていってしまう赤い着物を着た少女たちと一緒にドンドン進んでしまい、なかなか追いつけない。果たして姉妹は再会できるのか。
ひとつの大きな祭り宵山を多角的視点で描かれていて非常に面白い作品だと思います。森見氏の超絶技巧文もなければへんな妄想もない。いたって平凡な小説なのですが、なんとも言いがたい逃れがたい力に引きずり込まれるような感覚、もしかしたらもう抜け出せないかも知れないという恐怖がじわじわ湧き上がってきますよ。秋の夜長に読むには打ってつけの本ですが、皆様どうか宵山の世界のなかから抜け出せないようなことにならないでくださいね・・。

有頂天家族 森見登美彦 感想とレビュー 家族愛を読み解く 叡山電車その正体とは

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京都の不思議、神秘といったものは実に興味深いですね。森見氏はかつてきつねのはなしをだしています。そしてきつねといったら今度は狸ですよ。今回の主人公はみんな狸。
主人公は人間に化けるのが得意な狸。かわいい女子高生になったり、森見先生、延いては成人男子諸君がすきな胸を膨らましたりすることも自由自在。物語は偏屈と頑固を権化にしたような天狗の師匠や、年に一度狸なべをして狸を食ってしまう金曜クラブの弁天という女性がでてきて進展します。
なんとこの弁天、師匠である天狗のかつての弟子。つまり主人公の狸にとっては姉弟子でもあります。しかしなんとあろうことか物語りの終盤には主人公の父である狸(この偉大な父は最初から食べられてしまっている)を食べたのが金曜クラブであったことが判明。つまり父は姉弟子の胃袋に納まっていたということになるのです。なんと衝撃的な。
優しい母、そしてこの伝統ある狸の家を守っていく長男、あるときから井戸の中に隠れて二度と出てこようとしない次男、そして主人公である三男にふりかかる災難。師匠や金曜クラブとの関係や偉大なる父を恨み続けてきた叔父の策謀。これらが深く入り混じって襲い掛かる。季節はもう金曜クラブの狸鍋が行われるころあい。次に鍋になって金曜クラブの胃袋に入ってしまう狸は誰なのか。叔父の仕掛ける秘境極まりない手によってピンチに立たされる兄弟。終局に近づくにしたがってあきらかになってくる父の死の真相。
京都を舞台とした傑作ファンタジー。これを読まずして森見登美彦氏はかたれない、と勝手に思っている管理人。

竹林と美女 森見登美彦 感想とレビュー 竹林は麗しの乙女と交換可能なのか

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ついに京都近辺のことについて描くことがなくなってしまったのか森見先生といいたくなるような、そんな小説です。とにかく話が進まない、ストーリーの展開もなにもあったものでもなくて、ついには美女と竹林は等価であるというようなことを言い出すしまい。
主人公の森見氏は友人や編集の人たちとともに竹林に行きそこで竹を只管切っていくというだけ。小説としては面白くないですよ。では一体何が面白いのか。それは癖になる森見ワールドが炸裂しているからですね。なぜ多忙な執筆活動を支えてくれたのが美女ではなくて竹林だったのかなどをはじめとして「虚実いりまぜて、タケノコと一緒に煮込んだ、人気文士の随筆集」とあるように、随筆集なのですね。
だから森見先生が話しかけてくれているというより一人で勝手に喋っているような感覚で、彼の世界にのめりこんでいってしまう。帯にある「美女にあったら伝えてくれ。俺は嫁を大事にする男だと。」とずいぶん仰山な文章は友人が竹林にきたときに度々口にする台詞。ただそれだけなのです。
へんちくりんな、偏屈な随筆集ですがその分森見ワールドが炸裂していてファンには大変面白い。ファンでない人には絶対面白くない。そんな随筆も最後には森見先生の壮大な妄想で終わります。何でも石油王や鉄鋼王のように竹林王になる妄想だとか。皆さんも森見ファンになってからこの小説を読むことをお勧めします。罷り間違ってもこれからはいってはいけませんぞ。

恋文の技術 森見登美彦 感想とレビュー この電子メールの時代だからこそ必要となることとは

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最初にこの小説を目にしたときはなんとあの森見氏が恋文の技術を伝授してくださるのかと思いましたよ。でま実はちょっと内容が違うのですね。主人公は我々と同じく、恋文には特別な技術があってもしそれを発見、開発すれば世の中の女性もたちまち文通によって自分の恋人にできるのではないかというところから恋文の技術について研究を始めます。森見氏の小説に見られるのはその独特な文体もさながら、彼が毎回といってよいほどいろいろなかたちの小説に挑戦しようという心意気ですね。
今回は題名も不思議ですが内容、文体も不思議。書簡体小説というらしいですね(帯びに書いてある)。こんな形式の小説を読んだことがありませんでしたので少々狼狽いたしましたが内容は実に面白い。
物語は全て主人公とその手紙の相手とのやり取りだけで進められます。先ずは意中の人との交際のために只管外堀を埋め続ける友人への手紙。二人目は自分の先輩である非常に性格のよろしくない厄介なお姉さまへの手紙。これはもしかしたら羽貫さんではと思うのですがね。三人目はみどころのある少年。おそらくは夜は短し歩けよ乙女の古本市ででてきた少年ではないでしょうか。
四人目はなんと偏屈作家森見先生へとあります。ただこの小説を書いているのも森見先生なのですからなんと自分と文通するという感覚。その後もおっぱいに目のない友人やら、心優しき妹、外堀を埋める友人の恋人伊吹夏子さんとの手紙のやりとりなどが続き、最後は大文字山への招待状で終わります。
様々な人との手紙のやり取りでだんだんと明かされていく真相。手紙のやりとりによって展開してゆくストーリー。まったく先が読めない状態で、これは面白いと感じました。
大文字山への招待では主人公がいままでの文通相手全員に手紙をだす形式でこれが読めばわかるのですがすごい発想。
最近では携帯電話の異常な普及により手紙を書くことがめっきり減ってしまいました。年賀状もほとんどはメールを回すだけ。手紙で来たとしても、全部パソコンのプリントみたいなものもかなり多いですね。私は自分が受け取りたくないものは出さないように心がけているので、全て名前、住所、文面を手書きで出します。そのためにはもちろん何日も前から事前に準備しなくてはいけないのですが、手書きでしか伝わらないものってあると思うのです。その人の文字の形、濃さ、大きさ、こういったものがあるからこそ手紙って暖かなものなんですよね。恋文も同じ。どんな気持ちで書かれたかわからないメールでの告白よりも、頑張って頑張って手書きで思いを綴ってあるほうが受け取りたいですよね。そんなことを伝えてくれるよい小説だと思います。文庫化されたのかな?皆さんも手にとって読んでみることをお勧めします。

日常の写真 バラにことよせて 陰影で遊ぶ

「回覧者100人突破おめでとうございます!」と自分に言っている。素直にうれしいのですが、昨日だけで50余人ってどういうことじゃろうか。なんだか驚きです。日本人口が現在1億と23千万人いるのでしたっけ?そのうちのネットユーザーのうちの50人近くが我が偏屈ブログを見てくださったとは、考えれば考えるほど不思議?皆偏屈なのか知らん。
今回は皆さんへの感謝の気持ちを込めて、最近あまりよい写真が撮れないで悩んでいるのですが、なかでも割と良いものをあげておきますね。花は美しいですね、華やかさという意味ももちろんありますが、棘なんかある花も好きですね。美しいけど棘がある女性なんかもいいですね。何言ってんだ私・・・
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2011年 大相撲九月場所 エッセイ

日本のスポーツと言ったら何だ?なでしこジャパンでしょという答えが帰ってきそうですが、そうではなくて相撲ですよね。本日、両国国技館に相撲を見に行ってきましたよ。人生初の相撲観戦でしたからわくわくしていました。3時半頃から入って中入の少し手前から見始めました。場所は9段目の升席で調度行司(審判)の真後ろでした。もしかしたらテレビにちょっくら写ったかも知れませんね。場所も良好、試合もなかなか面白い試合もあり、接戦もあり楽しみましたよ。
やはり十両よりも前頭の戦いになるとよい試合が多くなり試合時は目が離せなくなりますよね。最後の大関や横綱の試合はまさしく国技と呼ぶにふさわしいすばらしいものでした。
さて、相撲に行ったことのない人に書いておきますね、私が行った升席ですが、簡単に言うと四人席で、他の四人席とはパイプで別れています。値段は升席で4万円。ですから今回4人で行ったのですが、そうすると一人一万円です。なかなか値段がしますね。じゃあ一人席はとなると確かに土俵の近くで観戦できますがさらに高くなりますし、それとなんといっても相撲の名物の食事その他が付きません。
国技館の中に入ると席の区分にしたがって~家というものがその場所のサービスを提供するということになっているのですね。私は15番案内所でなんと言う名前かは忘れてしまいましたが、そうすると先ず席まで案内をしてくれます。飲み物も無料で(先ずチケット代が高いですからね)オーダーを取りに来てくれます。お食事は国技館の地下で作られていると有名なお弁当や焼き鳥。酒のつまみも枝豆を筆頭に4人でも食べきれないほどのものがあります。
ところで升席って4人用なのですが、一般的な成人男性が4人いたらそれだけでかなり窮屈なんです。明らかに23人用という感じ。それでいてお茶盆もあり、酒だつまみだ弁当だ焼き鳥だごみだとなると、万葉集の一番歌ではありませんがおしなべて、しきなべてといった感じ。
まあ今回は私以外が女性だったので(母親と叔母達ですよ、彼女出ないことが惜しまれますな)なんとかなりましたが。
そして4人で食べきれぬ量の食事に加え、最後にはお土産が付くわけですよ。知らない人はたかがお土産と思うかも知れませんが、この量が尋常じゃない。むしろこっちの方が高くてチケット代がこんなになっているんじゃないのと感じるくらいというか実質そうでしょうが、相撲に関連したものが一人に付き大きな紙袋中身パンパンで一つ付いてくるわけですね。相撲チョコレートとか相撲甘栗、相撲最中、また焼き鳥、つまみ、相撲シュウマイ、相撲タオル、相撲お茶碗等々。持ち帰るのが億劫でたまりませんでした。
皆さんテレビでごらんになった方も多いと思いますが、琴欧州と把瑠都の戦いはすごかったですね。まさか全勝の琴欧州が負けるとは。実にいい試合でした。白鵬は流石横綱といった強さを示してくれましたね。最後の弓取式も非常に重みがあり楽しかったです。スポーツなんてほとんどしない私ですが、相撲観戦にいってとても良い経験になったと感じました。皆さんも食わず嫌いせずにものはためしですし、案ずるより産むが易し、行くが易しですからなんでも経験してみてください。そのあとで合わないと思ったらそれきりでいいのですから。人生は経験ですよ。今回はちっとも偏屈でない・・・これでいいのか、完全に心を洗わちまった。

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偉大なるしゅららぼん 万城目学  感想とレビュー 日本の神様の概念

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以前約束していた通り「偉大なるしゅららぼん」を読みました。万城目先生の最新作にして最大傑作と帯に書いてあります。京都近辺を舞台としている万城目氏の今回の舞台は琵琶湖です。日本には八百万の神が言われるといわれます。中国などには龍などの神がよく登場しますね。今回は水の神、琵琶湖の神秘的な力を描いた小説です。古来琵琶湖にはその湖の神の力を授かった二つの家がありました。主人公はその片方の日出家の分家の息子。人の心を操る力を修行するために本家の石走に行くことになります。本家の嫡男淡十朗というのがこれまたクセのあるもので、その土地での絶対的地位を利用して自分のしたいことはとことん貫く。そして古来より因縁深き相手棗家の嫡男である棗広海が同じクラスに!伯父の淡九朗は校長に棗家の人間が高校を受験したら即座に落とせと釘をさしていたのにもかかわらず、校長の急病によりその目論見は失敗。長年怨み合っていた両家の人間が同じクラス内に。そしてこの両家を襲う恐怖の事態に積年の恨みを超えて両家は結束、立ち向かうことができるのか?
先ずしゅららぼんてなんじゃということですよね。万城目氏は鴨川ホルモーからそうでしたし、また小説の中にもありますが、日本語は擬音化しやすいといっていますし、実際彼の小説に出てくる擬音語の量はかなり多いです。何故日本語が擬音語を多く所有するか、私は一重に日本語がひらがな、片仮名という音節文字(ひとつひとつの文字が音節を表す文字体系のこと)を有している言語だということと、音に対する興味関心、それを言語化してみようというやる気があったからだと思っています。
例えば擬音語は漫画などを見ると莫大な量が使用されていますよね、そこでもっとわかりやすいのが他の言語、例えば英語などに訳された日本の漫画を読み比べてみる。他の言語にもある擬音語はきちんと訳されていますが、結構訳せなかったのか、英語の漫画なのに日本語の擬音語が残っているってことからもよくわかりますね。
理屈はここまでとして、万城目氏の小説にはこの擬音語が欠かせないというわけです。小説の感想はというと終盤が少し微妙かなとも思いましたがまあまあのできだと思います。こんなふうに言うと随分えらそうで、ならお前も書いてみろといわれたら一溜まりもありませんがね。中盤まではなかなかスリリングで面白かったんですが、ハッピーエンド(になるのかな?)に近づけようとした結果少々無理が生じたように感じました。いっそバッドエンドにしてしまっても斬新さがあってよいのではないかということですね。よく、人間よいことよりも悪いことの方が記憶に残るって言いますよね。だからバッドエンドにしておいたほうが作品の評価も上がったのではないかなとも思います。個人の見解としてはやはり「鴨川ホルモー」が一番面白いですね。これは本当に傑作といっても過言ではないと思います。こんなすばらしい作品を出してしまってからではなかなか自分を超えることが難しいとも感じますが、どうかこれからも執筆活動を続けより面白いものを出して欲しいです。

コスモス アクリル絵画 自分に秩序を

此の頃ひしひしと感じるのは、理想と現実の乖離の甚だしさ、自己への疑問、対人関係、恋人が何故出来ないか、その他もろもろのことであります。もしかしたらもしかするかもしれませんが間違っていないと思ってたこと自体が間違っていた、のかも知れません。
人間とは実に脆弱なものでありますね。~しようと思っていたとか理由をつけてやらず仕舞い。夏の課題。私もそうです。
しかし、昨日珍しいことに、何もやる気が起きずにのんべんだらりとしていたらハッと天啓。震災時、なかなか学校が始まらないので下書きまで描いてそのままほったらかしにしていた絵の存在を思い出し、いっきに書き上げてしまいました。
水彩画、8号、宇宙を描いてみました。タイトルをコスモとしました。秩序というメタメッセージを持たしているところが偏屈ですがね。
今回はこのくらいにします。感想などありましたらどうぞ、顔は見えないのですから本音で構いません。
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走れメロス 森見登美彦  感想とレビュー こんな偏屈な短編はいやだ

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今回は新釈走れメロスですので太宰治のほうではないです。ただ、太宰治の走れメロスもきちんと今度書きますからね。
部立は
山月記
藪の中
走れメロス
桜の森の満開の下
百物語
どれも有名ですよね。ただお恥ずかしながら実は私桜の森の満開の下を読んだことがないのです。近いうちに必ず買って読みますからね。山月記は最近では高校の教科書にもありますから大丈夫でしょう。若くして亡くなった天才中島敦作ですね。本物では李徴という天才がその才能ゆえに精神に以上をきたし終には虎になってしまうというもの。本編では斉藤秀太郎という人物がこれに見立てられてもんどりもんどりと叫びながら森へ入って行く。
藪の中も有名。誰もが知っている芥川龍之介による作品。今昔物語から発想を得たもので、ある事件を多角的にみるも結局真相は藪の中というお話。本編ではモリミーの小説によく出てくる映画サークルの話に摩り替わっている。
走れメロス、太宰治。本編では四畳半神話大系にでてきた図書館警察長官が王の役。主人公芽野とその友人芹名のかくも薄い友情は何人もの涙を誘わない。
桜の森の満開の下、坂口安吾作。本物のストーリーは火の鳥の我王偏とそっくりです。もちろん火の鳥のほうがまねたのですが。本編ではある女性がある大学生とあい、そいてその学生を売れっ子作家へと仕立てていくもの。しかしその文章からは悲しい雰囲気が漂います。
百物語、森鴎外。本物本編ともに怪談をしていくというもの。さて最後はどうなるのか。
森見氏の小説に出てくる数々の愉快な仲間たちがこの小説にも出てきて、その人物たちの日常というかある一面をみることができる小説となっています。もちろんこれをいきなり読んではいけないとは言いませんが、そのよりも以前から紹介しているほうを先に読んでからこちらを読んだほうがよりいっそう楽しめると思います。

映画『パイレーツオブカリビアン 生命の泉 』 感想とレビュー 人魚と恋に落ちてはいけない 女性の魅力にはご注意を

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最近、もう完全に手遅れなんですがワンピースを読み始めました。食わず嫌いならぬ読まず嫌いはいけないですね。読み始めたら意外と面白かった。ちょっと戦いが長すぎますがね。
ところで海賊といったらパイレーツオブカリビアンですよね。今回はなんと誰もが求めた永遠の命を手に入れる冒険です。私も不老不死になりたいですね。まだまだこの世で行うことは沢山あるし知らないことばかりだ。ただ本当に死ねないのは嫌なんです。老化や病気では死なないけれど、物理的になら死んでしまうくらいがいいですね。ちょうどロードオブザリングのエルフのように。
今回の作品はいままでのように単純にパイレーツ最高とはならなかったようですね。意見が分かれてしまったようで。私の友人ももった海での戦いが見たかったと不満を言ってました。ああそれは納得だとも思ったのですが、私はそこではなくストーリーに拘るほうなので十分楽しみました。
しかし、初めバルボッサがおしろいして出てきたときには驚きましたね。ちょっとキモぃ・・・ぃゃかわいらしい?かったです。それにしても黒ひげのあの舟はどうなっているのでしょうね。あの剣に魔術か何かが込められているのでしょうか?縄が生きているように動いたり、船を操作できたり。今のリモコンより全然すごいじゃないですか。あとあの藁人形。あれはおもしろいですが一体どこからきた発想でしょうか。日本から持ってかれたかな?
今回はなんと人魚も出てきましたよね。美しいかったけどもうちょっと露出が多くてもよかったんじゃないですか、映画だし。ただアンジェリカの美しさは群を抜いていましたね。あの美しさは日本にはない妖艶な美しさでしたね。そして美しいバラには棘がある。あの怒ったときのスペイン語でも捲くし立ては見ていて度肝を抜かれましたね。私もスペイン語を勉強していますがなにいってるかサッパリ。というか神が話す言葉として美しい言語とされているのがあれでは・・・
ところでアンジェリカ役のペネロペ・クルスさん。今回初めて知ったので20代なのかななんておもって調べてみたらなんと現在37歳。しかも生命の泉の撮影中は妊娠中だったとか。よく頑張ったと思います。無事お子さんも出産されたとか。しかし、あれで37ですよ。アラフォーってやつですよ。とても見えん。あんな奥さんがいたらさぞかし幸せでしょうな。
映画に戻りますが、黒ひげのラストがちょっとね・・・あとはよかったんですが。
私の見解ですがおそらくスパロウ船長は一度泉に一人でいってますね。冒頭ギブス君との会話で憂慮すべきことがあるみたいなことを言ってましたよね。それに一人ではなにもできないというようなことも言ってたと思います。曖昧ですが。
そうするとヲールドエンドのあとに一回は辿り着いてたということになりますね。よくあの小船でいけたものだ。
個人的にはワールドエンドのほうが好きでしたね。あの七つの海の海賊の長が集まるのがすきでね、まあ今回も良かったのですが。次回作あるのでしょうか。様子を見て判断すると製作者側は言ってましたがね、やってほしいな。

映画『コクリコ坂から』 感想とレビュー 昭和の人情を感じる



皆さんこの夏の映画といったらなにを思い出しますか?私は無論コクリコ坂からですね。私ジブリの作品が大好きでその知識の量といったらそうかんたんに他人に負けませんよ。特に天空の城ラピュタは私のお気に入りで、ラピュタを作ってしまったくらいです。この作品については今度また書きますね。
最近のジブリが面白くないとかつまらないとか言われているようですが、今回のコクリコ坂はかなりよかったと思いますよ。今回の原作は1980年に漫画『なかよし』に掲載された同名作品。1963年の横浜を舞台にした高校生の青春物語で、監督は『ゲド戦記』以来5年ぶりとなる宮崎吾朗さん。
なんか壮大な親子喧嘩のドキュメンタリーも組まれたりしていたし、吾朗監督の初作品『ゲド戦記』はかなり低評価でしたがそんなにひどかったでしょうか。変な感情をいれずに素直に見ればゲド戦記も十分楽しめると思うのですが、偏屈文化人である私が皆さんに素直になれというのも変な話ですがね。
さてコクリコ坂、確かに見る年代によってこれは評価が非常に大きく分かれると思います。その部分は仕方ない。これが若者受けするわけはないです。ただし、今還暦に近い方や、戦争を経験してこられた方にとってはとても面白いというより感動、共感できる作品なのではないかなと感じます。わたしも昭和が好きな人間ですからこの作品大いに気に入りましたよ。
この時代コミュニケーションツールなんて何もないんですよね。自分の意思は口なり手紙なりできちんと伝えなければいけない。それなのに何故か今よりも意思の疎通ができて人情味溢れるんですよね。
企画者の宮崎駿さんは制作に際して、「異性への憧れと尊敬を失ってはならない」とコメントしたそうです。
確かに今の恋愛とか異性との関係とか、その前にまず人間同士の関係がおかしくなっていますよね。もちろん吾朗監督がそんなことを意識して作っていないとしても、私はこの映画から現在の人と人とのあり方への問題を提起しているような気もします。
そんな世の中だからこそ純粋な恋、ロマンスを映画で楽しむのも良いのではないでしょうか。
しかし、私もこんな素敵な恋ができたらいいのにな。

そうそう、主題歌にもなっている「さよならの夏」これもいい曲ですよね。もともとは森山良子さんが歌ってたのですが、今回はゲドに引き続き手嶌葵さん。この方の歌い方ってとても特徴的ですよね。静かななかに暖かさがあるような感じがします。手嶌さんって実は身長170以上あるの知ってました?バレーも好きだった見たい。実はスポーツウーマンだったんですね。驚き。

四畳半神話大系・四畳半王国見聞録 森見登美彦  感想とレビュー 四畳半に住む人必見の書

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森見さんの自他共に認める超絶技巧文の才能が顕著になったのは四畳半神話大系からだと言っても過言ではないでしょう。なんてったって帯に「無意味極まる超絶技巧を駆使した、登美彦氏史上もっとも厄介な小説(著者)」とあるのですから。
神話大系が05年に出版で、見聞録が11年ですからそのかん6年近くあいたわけです。しかし、森見さんはこの六年間に他にもかなりの本を出していますし、そのたびに一風変わった粋な小説を書いているのですから、ファンとしては四畳半に戻ってきてくれてうれしい限りですね。
では神話大系のほうから、「夜は短し歩けよ乙女」で出てきた樋口さんと羽貫さんのコンビが再登場します。そして彼自身申している通り、唾棄すべき友人小津の活躍がやはり癪に障ります。物語は主人公がほんの些細な選択でかわっていった物語を、何を選んだかによって様々に書き分けています。森見さんはしかし、選択では実は何も変わらないのではないか、その前にある人間の根底の何かが原因ではないかと深い洞察とともに物語を書いているような気がいたします。だってどの物語も序文が同じだし、それが超絶技巧文なのですから。あまりにもすばらしい超絶技巧なのでちょっと紹介。
「今やこんなことになっている私だが、誕生以来こんな有様だったわけではないということをまず申し上げたい。生後間もない頃の私はむしろ純粋無垢の権化であり、光源氏の赤子時代もかくやと思われる愛らしさ、邪念のかけらもないその笑顔は郷里の山野を愛の光で満たしたといわれる。それが今はどうであろう。今の私が笑っても、そこにはメフィストフェレスのごとき不吉な笑みがあるだけだ。鏡を眺めながら怒りに駆られる。なにゆえお前はそんなことになってしまったのか。これが現時点におけるおまえの総決算だというのか。まだ若いのだからと人はいうだろう。人間はいくらでも変わることができると。そんな馬鹿なことがあるわけがない。若人を甘やかしてはならない。ただでさえ三つ子の魂百までというのに、当年とって二十と一つ、やがてこの世に生をうけて四半世紀になろうとする立派な青年が、いまさら己の人格を変貌させようとむくつけき努力を重ねたところでなんとなろう。すでにこちこちになって虚空に屹立している人格を無理に捻じ曲げようとすれば、ぽっきり折れるのが関の山だ。お前はいまそこにある己を引きずって、生涯をまっとうせねばならぬ。その事実に目をつぶってはならぬ。私は断固として目をつぶらぬ所存である。でもいささか、見るに耐えない。」
これが1ページ分で、こんなのが300ページ近く続くわけだから著者もつかれるし読者も疲れるというなんというレベル。映画サークルみそぎやソフトボールサークルほんわか、秘密機関副猫飯店などなど、京都大学というより森身先生自身の奇怪な妄想がねじれに捩れてもはやねじれていないようにも見える。キーワードは黒髪の乙女とスポンジの熊のぬいぐるみです。

6年間森見氏がものを書き続けて至った結論は一体なんだったのか。その終局がこの四畳半王国見聞録であるとここに断言するのにいささかの躊躇も感じない。帯びには「諸君!-世界とは四畳半の内部にこそ存在しているのだ」とあります。
こんどの物語には所謂能力者たちが出てきます。なんだか明るそうな小説でしょ?全然明るくありません。この能力者方、その特異な能力のおかけで世間にもみくちゃにされ根性を根から腐らしてしまったため、能力を他人の役に立てることを潔しとせず、みな自分たちで作り出した宇宙的規模の妄想の中に閉じこもっています。主人公の数学的天才は自分の創造する数式によって、自分に恋人がいるという存在証明に挑みます。ほかにも、モザイクを消すことができる能力者や、心の変化により空間をも自在にへこますもの、マンドリンを片手にマンドリン辻説法をするもの、存在感というものが一切ないもの、誰が見ても睡魔に取り込ませる映画を作るもの、これらの能力者たちが織り成す物語は果たしていかなる結末を迎えるのか。
そしてこの阿呆なる天才たちの上に君臨するのが四畳半の神であり、阿呆神なのです。この神は自分の四畳半を日本の国土ほどの大きさまで内部拡大することに成功した大偉人。数多の能力者と神との接触、四畳半の運命はいかに。

背表紙から
森見登美彦
1979年奈良県駒市生まれ。京都大学農学部卒。現在、同大学院修士課程に在籍。
「太陽の塔」で第十五回日本ファンタジーノベル大賞受賞。
趣味は読書と映画鑑賞、および爽やかな友人たちとの小粋な語らい。
頭脳明晰で騎士道精神溢れる古今未曾有のもてもてナイスガイであると誰か一人でも言ってくれれば、それを潔く認めるにやぶさかではない。

きつねのはなし 森見登美彦  感想とレビュー 恐ろしい話にある根底とは

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皆さん京都と聞くとどのようなイメージがありますか。例えば金閣や銀閣を筆頭とする歴史的な建造物、清水の舞台なんかもすごいですよね。いままでで300人近く舞台から飛び降りたとか、半数くらいは生き残ってその後成功するらしいですよ。
三十三間堂の数多いる仏像の中には自分と同じ顔があるとか・・・
京の都にはその歴史もさながら、ミステリーも多いですよね。しかもどちらかというと神が関与してそうな、大和の国は八百万の神によって守られていますからね。
そんななか、今回登美彦氏が書いたのは京都ミステリーの中のひとつきつねのはなしです。
狸に化かされたとか狐に化かされたとか、よく言われますが今回はその狐について。
物語は4つ。
一つ目はきつねのはなし。主人公が骨董店でアルバイトを始めたところから物語りは始まります。あまりに怪しいうっそうとした森に住む依頼人との接触を機に主人公はその天城さんという依頼人とのきってもきれない縁に知らず知らずのうちに取り込まれていきます。天城さんは主人公の私の所有物のひとつを欲しがります。バイト先のナツメさんは彼にはなにもあげてはだめとの忠告があったものの・・・そして私は結局とても大事なものを天城さんに取られてしまいます。さて、その後はそうなるか。美しくも妖艶な文章でつづられた怪談話ですよ。
二つめは果実の中の籠、主人公の私はある先輩とであう。その先輩は知識経験共に豊か、数年前にはシルクロードに行ってきたという。先輩の話を聞き続けているうちに、だんだんと異変に気づき始める私は先輩のことを深く知るようになる。先輩の正体は一体なんなのか。
三つ目は魔、街では少し異変が起こり始めます。通り魔事件が発生するのです。そしてそれとほぼ同時になんだか得体の知れないケモノの目撃談が集まり始めます。主人公とその友人にもそのケモノの間の手が迫って・・・
四つ目は水神、ある旧家の話。老人が死の間際になってひたすら水を求めた。使いの人は毎日老人の部屋に水をボトル二本置くというが、翌日になると空になっている。どうして老人がそこまで水を求め続けたのか、それは老人の死とともに判明する。
山本周五郎賞受賞。薄闇の古都でみた悪い夢。目覚めても夢の続きをみているような。

夜は短し歩けよ乙女 森見登美彦  感想とレビュー かくも美しい妄想

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山本周五郎賞受賞にして2007年本屋大賞2位。森見氏の傑作です。
これは珍しく森見氏の偏屈度が極端に顕著化しなかった純恋愛物語です。森見さんの本を読んでみたいという方は「太陽の塔」や「夜は短し歩けよ乙女」をお勧めします。
主人公の私とその私が恋をした彼女との両方の視点から語られる美しい恋愛物語。私はいたってそこらへんにいる派手でないどちらかと言うと内気な大学生。それに対して彼女は麗しの黒髪の乙女。この彼女が天然で純粋なのがなんとも読者の共感を誘うのです、というか読者も恋してしまう。
そんな彼女に認めてもらおうと一所懸命外堀を埋めに埋めていく私には、本当に共感が持てました。まるで自分の物語を読んでいるみたい。
物語は鯉を飼育していたという変なおじさんや李白という仙人のような老人、この老人が曲者で変な酒を作っていたり、京の都を三階建ての叡山電車で縦横無尽に走り回ったり、あるいは京都大学での文化祭での話も面白い。なにか願いをかなえるために自分の好きなもの、例えばお茶断ちなんかをするじゃないですか、それが願いが叶うまでパンツを脱がないという不潔極まりないパンツ総長という人物が出てきたり、あるいは古本市での不思議な少年や、真夏の中で炬燵に入って鍋を食らうとか、もうそれは奇想天外な人物事物が入り混じるパラレルワールドなのです。
果たして私と彼女との運命はどうなるのか、そしてこの本を読み終えた人間はきっと麗しの黒髪の乙女にこういうでしょう、「夜は短し歩けよ乙女」と。

西の偏屈文化人森見登美彦氏 太陽の塔 感想とレビュー デビュー作

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仮に私を東の偏屈文化人としたならば西の都京都の偏屈文化人は森見登美彦氏と相場が決まっています。
もちろんその偏屈度にしても執筆活動、文化人的レベルでは私は登美彦氏の足元にも及ばなく、勝手に偏屈文化人の師であると私が一人合点しているだけなのですが。
さて、国文学科でも登美彦氏のことはあまり知られていなかったので皆さんが知っているかどうかは判然としませんが。
登美彦氏のデビュー作はなんといっても「太陽の塔」
皆さんにも登美彦氏デビューをするならこの本からですね。先ずこのデビュー作からして偏屈度合いが計り知れるというところがなんとも偏屈。京都大学在学中からの執筆活動で、以前紹介した万城目さんは先輩にあたる人物になるわけです。もちろん小説には何も関係ありませんが。
「太陽の塔」帯に書いてあるとおり、モリミー氏の膨らみきった妄想が京都の街を飛び跳ねます。
本文は「何かしらの点で、彼らは根本的に間違っている。なぜなら、私が間違っているはずがないからだ。」ときます。
「華のない、とくに女性とは絶望的に縁が無い学生生活を送る私にはじめて出来た「恋人」はあろうことか、この私を袖にしたのである! クリスマスの嵐が吹き荒れる京の都を暴走する、失恋男の巨大妄想の行方は何処へ―」
よくある壮大な物語の末の夢落ちってやつがありますよね、彼の場合は差し詰め妄想落ちというべきでしょうか。
世の女性にもてない不運なる偏屈男性たちよ、ここに私は宣言する、森見氏の本を読むべきであると。
しかし、彼もまた太陽の塔の文末に、「何かしらの点で、彼らは根本的に間違っている。そして、まあ、おそらく私も間違っている」とある。もしかしたら私たちも間違っているかもしれない。そのことを忘れずに、断固としてこの世を偏屈に生きようではないか。
森見氏の記事は続く。

ジャッキーエヴァンコ その魅力




今回は私の取って置きを紹介します。未だ日本ではあまり知られていないようです。検索してもウィキペディアが出てこないですからね。皆さんも何年か前にブリテンズゴットタレント(Britain's Got Talent)という番組でスーザンボイルやポールポッツが一躍有名になったのはご存知でしょう。
そのブリテンズゴットタレントのスピンオフ番組のアメリカズゴットタレントという番組で2010年に輩出されたまさしくスターと呼ぶにふさわしい人物がいます。その名はジャッキーエヴァンコ(Jackie Evancho)。
ジャッキーチェンではないですよ、カンフーとかしませんからね。なんと言っても特筆すべきはその圧倒的な歌唱力。プロも顔まけ。というかプロより上手い。10歳の天才オペラ歌手です。
動画を見ればわかりますが、とてもこの体からこんな声が出るとは思えない。審査員たちも完全に度肝を抜かれてうっとり聞き入っているだけでしたが、もちろん私もすっかり魅了されてしまったわけでございます。
なんだロリコンじゃねーかって言う方もおりますがね、それは彼女に対して失礼ですよ。
そんなこんなで先日彼女のCD「Dream With Me」を購入してしまいました。
曲目は
1. When You Wish Upon A Star
2. Nella Fantasia
3. A Mother’s Prayer (Jackie Evancho and Susan Boyle)
4. Nessun Dorma
5. Angel
6. O Mio Babbino Caro
7. Somewhere featuring Barbra Streisand
8. All I Ask Of You
9. Ombra Mai Fu
10. Lovers
11. Imaginer
12. The Lord’s Prayer
13. To Believe
14. Dream With Me
オペラ好きにはたまらない有名な曲がかなりありますね。以前紹介した三大テノールのNessun Dormaもあります。今はなきパバロッティの歌声と聞き比べても勝るとも劣らないすばらしい表現力。そして10歳の少女が出せるとはとても思えない声量。
また、彼女の魅力はその高音の美しさにもあります。ユーチューブではあのサラブライトマンとの[time to say good bay]の競演なんかもありこれもなかなかの見ごたえあり。
きっと気に入ります。CDを買うなり借りるなりして彼女の歌声に聞き入るのも良いかと思われます。

金閣寺 三島由紀夫  感想とレビュー 少年坊主の内面を読み解く

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金閣寺関連で鳳凰と獅子のはなしの続きです。
さて、三島由紀夫と聞いて思い浮かぶ作品は、潮騒、仮面の告白、金閣寺くらいでしょうか?
受験で日本史や国語史などを勉強すると三島由紀夫金閣寺を書いた人程度で覚えられているかもしれません。その点では夏目漱石、我輩は猫である、ようにA=Bというように世間では通っているでしょう。
ただし、今私が言いたいのはそういうことではないだろうということ。そもそも、私は高校生クイズなんたらというのが大嫌いです。何故か、自分が知らないことを他人が知っているからだ。ウソです。本当の中身をなんにもしらないで上っ面だけの知識だからきらいなのです。そして上っ面の知識しか問わない番組も番組。それを見てすごいすごいといっている聴衆も聴衆。
我輩は猫であるはだれが書きましたか?夏目漱石です。
こんな問題ばっかりじゃないですか。だったらあなたは我輩は猫であるを読んだことがありますか?って話ですよね。だれだれはなになにの定理を発見したとか、じゃあその内容をわかって言っているのかということです。無論わかるわけが無い。すこし考えればわかることです。だからそんなことを聞いているほうもおかしいのですよ。
偏屈人の愚痴はこのくらいにして、三島由紀夫を読み始めるなら確かにデビュー作である仮面の告白でもいいでしょう。ただ、彼の
小説は続きものではないので金閣寺からはいっても大丈夫だと思います。今年はどうだったかわかりませんが、去年の新潮文庫100冊に選ばれ、金ぴかのカバーで書店に並んでましたね。まぶしかった。しかし、内容も実にまぶしいのですよ。
金閣寺、一体どんな小説なのか、金閣寺の美しさを只管賛美するだけでございます。冗談ですよ。
1950年(昭和25年)7月2日未明、鹿苑寺金閣は国宝保存法により国宝に指定されていましたが、学僧・林承賢(当時21歳)の放火により炎上し消失してしまいました(金閣寺放火事件)。
本当になんてことをしてくださったのだということですが、当時は相当な衝撃が走ったようです。そこで三島由紀夫はこの事件を題材にして学僧の告白体で何故金閣寺を焼いてしまわなければならなかったのかということを精細に描いています。
鬼才三島由紀夫といわれるのは、彼の心情の描写があまりにもすばらしいからだと私は感じております。風景描写が得意な人間もいればストーリー展開に力を入れる作家もいる。そんななか三島由紀夫は群を抜いて心情変化などを精細精微に描いています。もちろん戦後文学なので今の我々が読んでも十分通じる日本語ですから安心して手にとって見てください。
少年の金閣寺に対する思い、様々な悩み、背負っていかなければならないもの、自分と正反対の友人、こうしたものが深く入り組んで渾然一体となり、結局は終末に向かわざるを得なかった。なんともその葛藤や心情が読み手の心を動かし、小説の中に取り込まれてしまう。気をつけないと本当に私たちも終局へ向かってしまうかもしれません。

不滅のシンボル鳳凰と獅子 展 人類が追い求めた美しさ、いのちとは

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夏休みが始まる前の話ですが、鳳凰と獅子展に行ってきました。場所は以前紹介したあごられのベネチアングラスと同じ、六本木サントリー美術館です。サントリー美術館、近くに国立新美術館もあり比較すると規模を小さいのですが、私がサントリー美術館が好きな理由が、この美術館の所蔵している作品があまりにも貴重なものだらけだからなのですね。ねらいにねらって国宝級の作品を集めたような感じがいたします。
私は次に作る作品は鳳凰にしようと決めているのです。だから、今回はその参考資料にもなるだろうと思っていってまいりますた。
さすがはサントリー美術館、今回の展示の目玉作品にはしていないのですがなんとあの狩野永徳の唐獅子図屏風がありました。下の屏風ですね。
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これは宮内庁所蔵なので国宝には指定されていませんが、皆さんも日本史を勉強したなら必ずしっているでしょう。私、唐獅子図屏風があるなんてまったく知らなかったものですから心底驚いてしまって、20分くらい作品の前に立ち尽くしていたような気がします。というかよく宮内庁三の丸から引っ張り出してきたなということですよね。六曲一双で、サイズはなんと222.8×452cmです。なんとチェホンマンよりでかい。
永徳の力強さがよく出ているすばらしい作品です。画像ではわかりませんが、実際に屏風の前に立っていると獅子が飛び出してきそうに見えるのです。元祖3Dですか?
金箔地ですよね。金箔って日本がを描く人間にとっては一か八かなんですよ。豪勢で立派に見える反面立体感、奥行き間がだせない。それをうまくやって乗り越えたのが狩野永徳というわけですね。
さて、本来の目的は鳳凰でした。鳳凰は中国の四神のうちのひとつ朱雀とも同一視され、西欧では不死鳥、フェニックスとも同一とみなされています。火の神であることもよく知られていますね。
そこで、びっくりしたのがこれ
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写真は別の展示会のものですが、これはなんと鹿苑寺金閣のてっぺんにとまっていたものなんです。
金閣は俗に金閣寺事件といわれた、1950年(昭和25年)7月2日未明、学僧・林承賢(当時21歳)の放火により炎上し消失してしまいましたね。しかしこの鳳凰、まさしくこの事件の直前に損害の状態が悪いからという理由で修繕に出されていたのです。だから当時の金閣の唯一の本物の残りというわけです。
金閣が焼けてなお鳳凰が残る、神秘を感じませんかね?こんどの作品はこの鳳凰をモデルとして作りたいと思っています。そして金閣寺についても、三島由紀夫の金閣寺を次に書きますね。

ハイコントラスト 水彩絵画 楽器をもつ男女のカップル

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はい、今回はハイコントラストについてです。どうですか、画のようには見えないでしょ?まるで写真のようでしょ?だって写真を写しただけだもの・・・
これ実は結構簡単にできるのです。ただし今回は感性や色使いなどのかわりに、いかに筆を上手く扱えるかということが問題となります。この画を私は縁の緑をのぞいて6色だけで描きました。もう少し細かく色を使い分けたいという方は別に何色使ってもかまわないのですよ。それでこれを2色でかくとどうなるか、ipodの待ちうけ画面のようなのができるのですね。
では早速ですが、手順を説明しますね。
できるだけ明暗のはっきりした写真を選びます。何枚かコピーをとっておきます。
コピーをとったら、画材を下にして、コピー用紙の下にカーボン用紙を敷くか、裏面を鉛筆で黒く塗りつぶしてから輪郭をなぞります。このときに明暗の段階が変わる部分で線を引きます。紛らわしいところはズバッといってしまえ。
色を何段階に分けるか決めます。そしたらその決めた分だけ絵の具のを作ります。この際、一度作った色は二度と作れないので、多めに作ってフィルムケースに入れて保管します。
あとは簡単。段階わけしておいた場所に色を塗っていけばいいだけです。塗り絵、塗りわけだけですから芸術の才能は要りません。ここをこの明るさにしたから、こっちはそれよりもうひとつ上の濃さだよな、とかこっちとこっちの濃さが微妙に違うけどこの際一緒の色で塗ってしまえとか。
ただ、写実性を求められる絵なので、筆遣いが荒くはみ出したりしていると台無しになってしまいます。また、こっちがはみ出した、じゃあはみ出したほうを塗りなおそうなんて何回もやっていると時間がかかってしまいます。
超簡単楽勝というわけには行きませんが、上手にできれば写真かと見間違えるほど、是非是非塗り絵などが得意だというような方はチャレンジしてみてください。はまると抜けられなくなりますよ。
完成した作品など見せていただけると嬉しいです。

デッサン カップを持つ女性

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これは高校時代に描いたデッサンですね。鉛筆だけで描いたんですが、なかんか上手くはいきませんでしたね。デッサンは美術をやる上で基礎の基礎になります。水彩や油絵をやるためには先ずデッサンをきちんとマスターしなければいけないわけです。
私の場合あまりデッサンは得意ではありません。見る人が見れば、これは下手なのですが、しかし初心者でもここまではなんとか描けるよということを今日は伝えたいと思います。
本当に初めての方は、2H、HB、4B、6B、と練り消しくらいがあれば大体のものはかけます。
この練り消しは消しカスを練ったものじゃありませんからね!
それでも足りないよということになると、三菱鉛筆の「ユニ(uni)」という商品名で10H~10Bの計22硬度が揃っているんです。たかが鉛筆と思ったでしょう、芯の濃さだけで22段階あるのですね。
ところでこの「B」とか「H」っていう表記、何なんでしょうね。どうやらイギリスのブルックマンという鉛筆製造業者が現在の表記法を作ったという話らしいですよ。話では、画家が描くための濃い鉛筆を「B」として、設計図を描くための硬い鉛筆を「H」として鉛筆の濃度と硬度を段階的に数字で表したとか。さらに、「B」と「H」の間のランクに「HB」が、「HB」と「H」の間に「F」がそれぞれ追加されました。
※B:Black(黒い)、H:Hard(硬い)、F:Firm(身が締まった、引き締まった)
私も大分持っていますが、それだけでなんかかっこいいじゃないですか。鉛筆がずらっと濃さの順番で並んでいる。皆さんもデッサンをやってみてはいかがですか。上手くできなくたっていいんですよ。

映画『ハリーポッターと死の秘宝』 感想とレビュー いよいよ完結 マクゴナガル先生の活躍がすばらしい


※最後の方は気にしないでください

皆さん見ましたかハリーポッター。そろそろ上映も終わってしまいそうですが、映画としてはなかなかの出来栄えだったと思います。
映画を本などの原作を読んでから見る人と、映画を見た後で原作を読む人と2パターンに別れると思うのですが皆さんはどちらですか?
私は読む量も多いので必然、本からはいってしまうのですね。でも、これは一般論ですが、大体小説を映画化した場合って小説を超えられませんよね。ハリーポッターも例外ではないと思うのです。
これだけすばらしいものをJ・Kローリング氏が書いてしまうと、その時点で映像化には無理が生じます。少なくとも読者のイメージを満たすものは決して作ることはできません。製作者もそこをどこまで読者のイメージに近づけるかが、プロの仕事なのでしょうが、賢者の石、秘密の部屋、アズカバンの囚人以降の映画は私個人の見解では駄作だったと思います。
最初の3作品は本でも一冊に納まる量で、内容もそこまで深くは無かった。しかし、炎のゴブレッツト、不死鳥の騎士団、なぞのプリンスは小説では2冊分、しかもハリーも大人になってくる訳ですから心情の変化や取り巻きの関係もより複雑になってくる。それをたかだか2時間ちょっとで表現しようということ自体が不可能だったわけです。
今回の死の秘宝はそんなブーイングを受けまくった為に二本立てとなりましたが、それでも本の内容に至らない部分がまだ多く残されていたなと感じました。特に、映画死の秘宝の前編は本を読んでいない人、あるいは一本の映画として見た場合最低のラインでした。はっきり言ってかなり失望しました。
なので、今回も大丈夫か不安だったのですが、後編はやはり最後の最後となるわけで相当力を入れたのでしょう、映画としても、読者としても楽しめるものにはなっていました。
私、本を読んでいるときからずっとホグワーツの教授方が好きで、特にスネイプ先生とマクゴナガル先生、この二人の対決がずっと楽しみでしょうがなかったのです。小説では螺旋階段で戦うこととなっていましたが、映画では時間の都合上カロー兄弟も一緒にやっつけてしまわなければならなかったので、こういうシーンになったわけですね。
しかしさすがに校長と副校長、レベルの高い戦いぶりです。小説を読んでいる限りではもう少しスネイプ先生も強いと思いますが、ここはひとまず退散ということでなるほど引き際も完璧。
しかし、あのカロー兄弟の様はなんですか?勝手にあぁとか言って倒れていきますよ。
まあ今回の映画にもう少し足してもらいたかったことは他の先生方の活躍と、死の秘宝についての物語ですかね。
教員になった暁にはスネイプ先生やマクゴナガル先生のような強い先生になりたいですね。ん、強さの意味が違う?

悲壮 アクリル絵画 悲しくも美しく立ち向かう男女

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お恥ずかしながら、今は国語の教師を目指していますが、高校時代では美術部に所属し、上野彦馬賞をはじめ様々な芸術活動に勤しんで居りました。今も創作活動は続けていますが、何分小さな体に対してやることが大きいものですからなかなか思い通りに行かない。
今制作しているものの発表がいつできるかわからないので過去のものですみませんが、少し紹介します。
この作品には「悲壮」というタイトルをつけました。悲愴ではなく悲壮です。全然意味が違いますよ。悲壮には悲しいながらも、勇ましいという意味があります。この画を描いた時分の私の心情が悲壮だったのでこうしてタイトルにしたわけです。
私は基本的にアクリル水彩画です。というか、油はにおいがきつくてできないんです。私の美大に行った友人は、油画をよく描いていましたが、これがなかなか上手い。だから美大に行ったのでしょうが、私は実際美大を目指すこともできたのです。ただ、生活ができないとか、美大に受かるだけの自信がないとかいろいろ理由を付けてやめてしまったのですね。
まあそんなことはさておき、これは100号というサイズです。1620×1120ですね。だからかなりでかいんですよ。描いてからしばらくは学校のチャペルで飾らしてもらいました。なかなか評判はよかったようです。ただ、本当はコンテストなりに出展したかったのですが、あまりに大きくて断念しました。もし出展するとなると美術作品を搬入してくれる業者さんに取りに来てもらって、さらに展示会が終わったら取ってきてもらわなければならないのですね。そうするとたぶん23万はかかる。当時は学生でしたからね、なかなかそんなお金は。
それで、ここまで大きい絵を描くと当然絵の具の消費量も激しいですよね。私の学校の美術部は先生が現代作家で有名ということもあり、かなり力が入っていてそれなりに様々なところで賞を頂いているのです。それで副賞であった大きな絵の具のチューブのセットを私が一人で使ったものだから少し睨まれましたね(笑)。
今は、私の部屋に丸まって収納されています。感想をもたれたら返信お願いいたします。




万城目学 その作品  全体から見えてくるもの、作風研究

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今回は京都作家、森見登美彦氏の先輩にあたる万城目学氏について書きたいと思います。
「鴨川ホルモー」
「ホルモー六景」
「鹿男あをによし」
「プリンセス・トヨトミ」
「偉大なるしゅららぼん」
万城目さんを知っている方がどれほどいるか私はあまりわかりませんが、作品の名前を聞けば、映画化やドラマ化されているのでわかる方も多いでしょう。
あ、万城目はまきめと読みますよ。なんか二十世紀少年で万城目先生というのがいてそれはまんじょうめだった気がしますが。
先ず「鴨川ホルモー」は何年か前に映画化されましたね。私もその当時はこの本を知らなかったのでへんな映画がやっているなとしか思わなかったのですが、本を読んでみるとまあ面白い面白い。簡単に紹介すると京都ファンタジー小説。ホルモーって何って方は読んだらわかるのですが、ホルモンではないのです。まあもう少し詳しく言うのなら、人間の言葉ではなく、鬼とのコミュニケーションをとるための言葉だと思ってください。
もう既に文庫化されていますし、厚さもそんなにない。万城目さんの作品を味わってみたいっていう方は鴨川ホルモーから入ったほうが良いと思います。映画では山田孝之さんや栗山千明さんが主演を務めていましたね。内容が内容なだけに栗山さんは相当恥ずかしかったのではなかったのでしょうかと一人心配しているのですが。だってキャラクターになりきるために先ずぼんちゃんメガネにおかっぱ頭ですよ。しかも、言葉にならない言葉を発しながら、鬼に命令する。こんな美人さんにこんなことやらせていいのかなと思いましたけどね。内容は最高。本でも笑えましたが、映像だと笑いやすい。本もお勧めですが、映画化にこれだけ成功する作品は珍しいです、ツタヤか何かで借りてみるのもお勧めします。
そして、鴨川ホルモーだけでは書ききれなかったその後の話や登場人物のストーリーはホルモー六景で語られていますので、鴨川ホルモー最高っ!って方にはこちらも面白いですよ。

鹿男あをによしこれは神経衰弱になりかけた大学院生が、休養もかねて京都の高校で教師をすることから始まるファンタジー小説です。たしかドラマ化したような記憶がありましたが、どうでしたっけ?
これもなかなか面白いですよ。三つ巴の戦いのような感じがなんともいえない爽快感、最後まで悪役がわからないスリリングさ、奇想天外の鹿。なんと鹿がしゃべるんです。わけがわからないでしょ。
小説の中にリチャードギアに似てるからってリチャードって言われている教頭が出てくるんですが、私のとっている授業にもリチャードを少し太らせたようなのがいて授業出るたびに、リチャードだなって思い出してしまうのですよ。どうにも頭から離れぬ。

プリンセス・トヨトミは先日映画化したので皆さんも知っているでしょう。ただ、この映画化ははっきり言って失敗だと思います。本のイメージをぶち壊してしまっているからなのですよ。先ず女性の旭ゲーンズブール、この人は三人の中で最も背が高く、なおかつ見た目では外人に見えるというハーフ、男性陣も部下の方は中学生に見間違われるほどの童顔、小太り、ちび、それをいくら映画化といっても客寄せのために、役者をああ変えてしまっては偏屈文化人としては憤慨の至りなのですね。
本自体はとてもおもしろい。まさか日本のなか、しかも大阪にもう一つの国があるなんて考えたことありますか?そしてあるものを守るときは大阪中の男が一致団結してこれを守るというスケールの壮大な話なのです。大阪国に立ち向かう三人の会計検査院、果たして結末はいかに、

偉大なるしゅららぼんはまだ読書中です。読み終わり次第コメントをいたします。
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