スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

本を読むことについて/人格形成/幸せとは別の尺度で


ふとこんなことを考えた。
まえまえからぼんやりと小さな小見出しで折に触れ考えていたことがらではあったが、私は結論ありきで、あるいは頭の中で答えをだしてから論理展開をできる人間ではなく、こうやって書いていくなかで、話していくなかでなければ論理展開ができない人間であるから、いっそのことぐじぐじ考えてないで考えながら文章にしてみようかと思ったところである。

本を読むことについて考える。
以前にも本を読むとはどういうことか、言葉の力を獲得するとはどういうことか、またそれをしないとどうなるのか、といったことを考え、ある程度答えはでていたのであるが。しかし、ここにきて、すこし考えが変わったというか、いろいろ思うことがあった。
というのも、私は一部上場企業の海外駐在員の息子に生まれた。まことに残念なことではあるが、この世界のなかでもっとも社会主義国として成功している我が国日本においても、格差というものはどうしようもなく俄然としてある、これは認めなければならないというか、これを格差といわずしてなんというのか、というところである。そんな生い立ちであり、私は幸運なのか不幸なのか、年間百万学費がかかる私立の中高を六年間通い、大学も奨学金を借りることなく出た、金銭的には何不自由ないこれまでの人生だった。
そしてさらにこわいことは、それぞれの階層というは、よほどの才能や運、めぐりあわせがないかぎりなかなか変動したりしないということである。残念なことではあるが、我が、中の上流とでもいうべきプチ上流階層は、その階層でずっとかたまっているのである。
地域のどんな家庭の子でも来るという公立の小学校時代を除き、私は社会に出るまでの、人格形成の大半がなされる思春期の時期を同じ階層の人間たちと共に暮らしてきてしまった。だから私の知識や価値観には相当それが色濃く、根強く出ているといっていい。
小学生といっても、地域によってもばらばらだ。もちろん多様でバランスよくちらばっているとはいえ、しかし、場所によってそれぞれ「風土」とでもいうべきものがある。私はわりとよい場所で小学生も過ごしてしまった。
そして私立の中高では、もちろんみんな年間百万の学費を払える親たちの子供であるから、中の上流階級のこどもたちである。そしてそういう私立に通う人間というのは、99パーセント(学年に2,3人くらいドロップアウトしていくのもいるが)大学へそのまま進学する。
だが、私はその後教師となってあまり頭のよくない子たちの通う学校に教えにいったことで実感したことであるが、大学全入時代(大学の募集人数のほうが大学進学希望者より多いという意で)の現代でさえも、大学に行くのが、全体の半分くらいしかいないということである。
私は半分の大学にいくのが当たり前の世界にいた人間なので、まったくそれとは反対の世界の感覚がわからないのだが、私が大学に行くのは当たり前という感覚と同時に、日本の半数の人間は、大学に行かないのが当たり前、の世界に生きているということなのだ。
そして、さらに大学に通っていても、そのなかで学費を親がすべて出してくれるのは、半数。残りの半数は奨学金を大学なり、それぞれの団体に借りて学生生活を送るということだ。私はこれもおどろいた。

さて、話しが脱線したので戻そう。本を読むことについてだ。
私は今話したような中上流の、大学に通うのは当たり前の世界で生きて来た。あまつさえ教員なんてことも二年ばかりやってしまったし(そのことについては大変後悔しているし、多大な迷惑を私にかかわった生徒などにかけ反省しているが、もうそのことは赦してもらいたい、私はその過去を忘れたい)、あまつさえ私は本を読む専門の学部である文学部国文学科に在籍していた。
そこでは「本を読むのが当たり前」の世界なのだ。
そこにいる限り本を読まないのが当たり前の住人と出会うことはない。
しかし、私が赴任した学校や、あるいは今の職場(大卒者は1,2割くらいしかいない)というなかで、本をよむのが習慣、年に数冊は(数冊さえも)読むという人間が、実は極めて少数であるということを感覚として実感してしまったのである。
ここで、頑固で教条主義的な私はこう思うのだ。「本は読むべきだ」「本はよまなければならない」。定言命法である。
だが、本を読む文化、習慣というのは簡単に身につくものではない。少なくとも大学にいくくらいの学力がなければならない。大学に通えるレベルの学力を身に着けるためには、まず親が勉学に対して投資をするという価値観をもっていないといけないし、それを実行できるだけの環境、財力がなければならない。これがそろわないと、自然と身に着けるのは極めてむづかしい。
さらに、本をその後も読み続けていくには、極めて強い忍耐力が必要である。最近は漫画さえもよまない、ということがいわれているが、少し前までは最近の若者は本も読まないであったし、本離れはどんどん加速していっている。もちろんだから短絡的にだめだと簡単にいえるわけではない。インターネットやスマホの普及によって、雑多な知識がいままで人類が経験したことのないほどの膨大な勢いで押し寄せてくるなかで、変かしつづける「今」において、本など、一瞬で過去の遺物となってしまうメディアにじっくり立ち会っていては「今」から送れるわけで、生きていくことができなくなるからだ。若者を代表に、本や漫画といったメディアに割く時間、労力を分散して、膨大な情報の海のなかをすいすいと泳いでいく力を身に着けたというべきなのかもしれない。

結論としては、頑迷な私は、そう育ってしまったからということもあるが、それでも本を読まなければいけないと思う。他人にもその自分の価値観を押し付けたい願望はでてきてしまうが、多様化した現代においてはそれは無理というものだろう。
本を読んで知識を深めるのは「いい」ものとされた。過去の話かもしれない。私は今も信じたい、と思っているが。
しかし、では実際に、(おそらく現実的には私の読書量はさまざまな本を合わせ一千冊レベルだと思われる、その程度の読書量だ)ある程度読書量をつんだ、平均値からしたらかなり高い水準の読書量をもつ私であるが、だからどうなのか、というところが問題になってくる。
「本を読んだ方が人生が豊かになって幸せになれる」
そう簡単に言えた時代がうらやましい。
与沢翼が幸せかどうかはわからないが、いくら学者ほどの人間があれだけの勉強を、本を読んだとしても、彼ほどお金を稼ぐことはできない。
そしてマイルドヤンキーに代表されるように、おそらく彼らは年間に一冊読めば本を読んだということになるレベルだと思うが、彼らは本を読まなくても幸せそうにリアルが充実している。一方本を読んだからといってリア充になれるかというとそうでもないし、むしろ往々にして本を読んでいる人間のほうが不幸せな感じがするし、私のようにあまり読みすぎると精神的に不安定になってくる場合がある。
こういう本は掛け値なしに良いものだ、といった価値観はもはや完全に崩れ去り、というかもはやだれにも振り向かれもせず、しかも実際に本を読んでいる、その思想を体現している人たちを見るとどうもお金もうけなど実益にも通じないし、充足感や満足感、幸福感がひとよりも高いともいえなさそうだという現実が目の前に立ちはだかってしまうのである。
本は読んだ方がいいんだ、読まない人間はなんにもわかってなくてバカでかわいそうな存在なんだ。と僕は自分をなぐさめるためにいうが、しかし、そういうことをいっている目の前で、本をまったく読まない人間たちが(僕が価値が思う、すなわちうらやましいと思う)彼氏、彼女がいたり、家庭を気づいていたり、車を持っていたり、家をもっていたり、社会的に地位があったりするわけである。
では本を読むと人格が陶冶され、すばらしい人間になれるかというと、やはりそれも多少は影響はあるにせよ、別の要因でもなりえるし、本人の生まれ持った資質もあるし、すべてを読書という行為に直結させるには無理があるように思われる。
そのようななかで、本を読んだからどうなのだ、ということが本読みの私に課題として提示されてしまったのである。

本を読むと、他の動物にはめったに見ることができない言語という、記号を他人よりもよりきめ細やかにあやつることができるようになる。これは間違いないだろう。そうすると、例えばすべてのものはグラデーションなのであるが、それが赤、青、緑、といったレベルではなくて、もっともっと細かく分類できるように、いろいろな感情やものごとなどを「より」精密に分析して理解できるようになる。ようは彩度があがるのだ。世の中や、自分のこころや他人の感情などがよりクリアーに見えるようになる。

効能としてはそんなところだ。だがそれは「事実」であり、それがどのような「価値」を持つかは人による。私の場合は自分のこころを細分化しすぎて深淵までのぞいていった結果、深淵にものぞき込まれたのか、精神的に不安定になり、心身ともにバランスを崩して、うつということになってしまった。スーパーフライの『愛をこめて花束を』という歌のなかに「遠くに見えるからきれいなの」といった内容の歌詞があったと思うが、遠くでぼけてみえていればいいものが、はっきりとみえるようになってしまった結果、あいまいでよかったものがそれでは立ち行かなくなって、白か黒か、ということになってしまう場面も出てくることだろう。あまりにも鮮明すぎるためにめまいがするように、あまりにもいろいろなものがはっきり、くっきり見えてしまうと、観たくもないもの、みえなくてもいいものまで見えてしまい、いままでは気にも留めなかったそれらに心割かれるようになる。簡単に言えばストレスになるのだ。
そのようななかでも「超人」のような精神力の持ち主だけが、現実と空想のはざまで芸術をあやつったりすることができるのであり、その芸術家たちも多くは人間としては崩壊している。

読書がなんの役に立つのかと言えば、さまざまなものが細分化されるということだろう。
その結果マイナスな側面もでてくるし、プラスな側面もでてくる。それは人によりけりである。成功例としては、ことばを操った小説家や詩人など、言葉によってほかのひとのなかにあった漠然としたものに論理という光を当てていくことによって共感を引き起こし、それは救済=カタルシスになる。詩集や小説、あるいは演劇などによってこころ救われた、時として人生を救われた、という人がでてくるのはこの効能のよい部分である。
そのよい部分だけを見れば、読書は人を幸せにするということがいえるのであるが、今見て来たように、悲観主義の私から見たら、自らが被ったということもあり、読書による弊害なども覚えておく必要があり、読書が手放しで「よい」ものと言うことはできず、読書はただ単に行為であり、それに付随する結果、価値観などはそれぞれ、時と場合によって異なるということになる。

読書はそれ単体では人を幸せにすることはできないのである。
だが、そのなかでもなお、まだ読書はすばらしいものである、ボケーっとした感じでいきるよりかは、より彩度が高いほうがいい、と思う私にとっては、読書をすれば幸せになるといった、幸福でものをはかる尺度ではない、別の価値体系において読書の意義を再定義しなければならない。

今回私がお話できるのは、読書を幸福とは別の価値において語る必要があるのではないか、という提言くらいである。ながったらしくいろいろと述べて来たが結論としてはこんなものだ。
読書マスターの現代における実像は、たとえば朝まで生テレビに出てきて議論を戦わせることができる文化人たちのような存在であろう。私もあのくらい高度な議論を戦わせることができるようになりたい、と個人的には思うが、しかし、あの番組を見ていても、あそこに出ているパネリストたちがしあわせそうにはとても思えない。
読書なんて実はそんなものなのである。言葉もまた、他の動物にはないからという理由で人間を別格に、特別視するのとどうように特別扱いされるが、それもまたツールの一つにすぎず、それがすべてであるというようなことではない。
それでも私は本は読まないよりかは読んだほうがいいし、最終的なゴールはないけれども、一冊よりは二冊、二冊よりは三冊読んだほうがいいと信じている。
本を読んだからといって幸せになれるわけではないけれども、いつか本を読んでいる自分も、これでよかったと思えるような、そんな瞬間が訪れることを願って、本を読み続けたい。

スポンサーサイト

サービス業界終了のお知らせ。うざい客死すべし、「もうムリだ」

https://pbs.twimg.com/media/C-PnWLJUAAAfRTM.jpg


はい、ということで絶望記事第二弾ということで、サービス業(特に飲食業)はもう限界にきている、ムリですよーというお話ですね。この駄文の記事をもし読んでくれる人がいたならば、へーそんなのかーとか、こころの片隅にでも止めておいてほしいのと、あとこれだけは絶対にお願いです、どこへいってもそうですが、店員はあなたと同じ一人の人間です、優しく気持ちよく接しましょう。それだけです。

さて、こんな記事がこのあいだ世間を騒がせました。
モスバーガーも人手不足、営業時間短縮 一部の店舗で加盟店オーナーの負担重く
http://www.huffingtonpost.jp/2017/04/26/mos_n_16277502.html?ncid=tweetlnkjphpmg00000001

一応わたくしの職歴をおおざっぱにいっておきますとですね、教師を二年ほど、現在はとある某大手飲食チェーン店で時間代行をやっております。
まあ他人事ではないわけですね。どことはいえませんが(内部情報漏洩によりくびがとぶので)まあ人手不足は深刻ですわ。
大手のモスバーガー、あの料金をとっているモスでさえこのありさまです。そうすると、そのちょっと前に散々批判されて、僕もこんなのただのコンビニと同じじゃん、誰も買わないよ、と思ったこの記事もその裏が見えてきます。

ミスド「500店舗調理廃止」は外食産業シェア化の幕開け - 加谷珪一 経済ニュースの文脈を読む
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170404-00189787-newsweek-int

はい、これは、なぜこういうことになったのかというと、調理をできるまでの育てる時間、人材、資金がないからですね。だから高校生アルバイトでも入って一カ月でキッチンできるようにということで、調理を廃止ということにしたわけです。この記事にはそうかいてないけどそういうことでしょう。ようは人材不足なわけです。

人材不足は飲食に限らず、運輸業界(ヤマトなど)、サービス業、介護職、などで叫ばれています。

値上げだけでは解決しない! “高齢化するニッポン物流“の深刻度
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170426-00010002-newswitch-ind

大手のヤマト運輸がアマゾンとの取引をやめる、配送の料金を値上げする、配達時間を短縮する、など極めて抜本的な改革に乗り出したの、すばらしいと思います。がんばれ。日本全体がヤマトを見習いましょう。さすが日本の国の名前を冠しているだけのことはある、アッパレ大和。
はい、ということで、もう無理なんですよ。いままでのようにやろうというのは。低賃金でもバイトがたくさんやってくるから仕事回せた、というのはもう過ぎ去った過去。いまは人がいないのに、労働は過酷で、賃金も安い、そんなんじゃ仕事まわりませんよ。
料金あげて、労働時間短くして、賃金挙げて人増やさないと無理ですって。
アベノミクスの成功なのかはわかりませんが(そうだとしたらやや悔しいですが)、デフレーションの時代はもう終わりですね。サービスには高い料金が発生する。そのかわりに給料も高くなる、という時代になるのでしょう。
安かろう悪かろうでやった結果は目に見えています。

【無理でした】500円ピザなどで急発展した「ナポリ」の経営会社が破産 負債は約13億円・・・
http://jin115.com/archives/52175059.html

で、なぜこの記事を書こうかと思った理由ですが、まあこういういろいろな記事がでてきているところもありますが、やはり一年半某飲食チェーンで働いていて、あ、もうこれは限界だなというのが実感として湧いたからなのであります。
まあ簡単に説明しますと、私はもともと夜のバイトだったのですけれども、人がいないということで、最近はエリアの他の店舗の深夜応援。で、さんざんすき家で批判されたワンオペをずっとやっております。もうね、疲れたよ。俺を深夜応援して店回すくらいなら店閉めてくれよと。
それからあまり大きな声ではいえませんが、もうエリア内の総従業員の4分の1から3分の1は外国人、今はほとんどベトナム人です。
このあいだ深夜応援に店にいったらベトナム人二人で店を回していましたよ。いったいなにか発生した時には日本語も不自由ななかで、どうするというのでしょうか。
みなさんが、安く気軽に外食チェーンで飯を食えるのは、食わせてもらえるのは、ベトナム人留学生の労働力を安く買いたたいているからです。

日本の介護問題を解決する突破口、外国人介護者
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170426-00049823-jbpressz-life

経団連の会長かなにかが、労働力が足りないなら、日系の子孫を呼び戻したらいいじゃないか、みたいなことを発言したとかしないとか。あのさ、もうどこから突っ込めばいいのか。
まあ日本もそうやって積極的に移民を受け入れる、どんどんグローバル化していく、ということを覚悟できるならいいですよ。私はもう、現状を維持しようと思うのなら(後退しかないのが現実だけど)、どんどんベトナム人とか、日系ブラジル人にれたらいいんじゃないですか。
もう日本人の若者たちは前の記事にも書いたけれども、未来、希望のない社会で完全にやる気を失い、ほとんどは長時間労働で過酷に使われ、あるいはそれがいやでニート、働く気概もないということになっています。居酒屋も、飲食チェーン店も外国人、ベトナム、中国、インド人の方々に食べさせてもらって、介護もそれらの海外の人たちに糞尿の世話をしてもらいましょうね。

そして、社員は店長のみ、あとは全員バイト。20年もバイトやっているというベテランの方たちもいますが、正社員ではありません。もうさ、こういうのやめようよ。20年もその店に貢献してくれた人に正社員の待遇、給料も支払わないでアルバイトとしてやとっているなんてあまりにも残酷すぎやしませんか?
といったことから、もう飲食業界、サービス業界は終わりだなと思いました。人材不足という点において。人があつまりません。みんなネットなどでブラックだというのがわかってしまったからこないのですね。賃上げと、職場改善によって、誰もが働けるクリーンな職場にしなくてはいけません。


で、つぎにですね、サービス業が終わっているなと思う点、二点目ですね。
客です。

消防士を悩ませる過度なクレーム スーパーへの駐車で苦情など
http://news.livedoor.com/article/detail/13004667/

これ最近話題になりましたね。もうなんていうんですかね、クレームって入れたもん勝ちみたいな世界になってきているじゃないですか、ほんとよくないですよそういうの。

【ツライ】 大型連休のない接客業が「休みがないより耐えられないのは○○」 に共感の嵐
http://jin115.com/archives/52175679.html

ひろばのさるの @hirobanosaruno
これは駅係員に限らずほぼ全ての接客業に言えるんだけど、大型連休のない僕らにとって、「夏休みが無いこと」や、「休日は混雑して忙しい」ことなんか別にどおってことない。

本当に耐えられないのは「意味不明な文句で仕事の士気を下げられること」です。連休中はこの遭遇率が極めて高い。

ひろばのさるの @hirobanosaruno
こっちが強気に出られない立場なのをいいことに自分の鬱憤を晴らす道具みたいにするのは本当にやめていただきたい。接客サービスはサンドバッグではありません。人間です。

どうかお願いします。

もうほんとにやめてほしいですね。
まあ大体安い飲食チェーンに来るのは、うちの場合ですけど、中高年の老人がほとんどですね。で、そいつらはよく言えば「江戸っ子」ということになるんでしょうけれども、なぜかいつも不機嫌、注文をするときも不機嫌、早口や小声などでいうものだから聞き返すと怒る、商品提供ミスろうものなら怒る、会計時にポイントカードなど持っているか聴くと「もっていたら出してるだろ」といったような理不尽な言葉を発するなど、どこをとっても万死に値します。
それがですね、連休中などになると普段それらを利用しない客がくるものですからもう大変。ただでさえ常連のおやじたちは最悪なやつらなのにもかかわらず、さらに、あまり利用したことがなく、日々の生活でうっぷんを募らせているのか、なにかささいなことで、こちらがミスをしてもいないのに、過剰な自分の理想の要求により、いいがかりをつけてくる客が、全年齢でいるということですね。もう万死に値します。

この記事から何かひとつ哲学的なことを導き出せるとしたら、冒頭にも書きましたが、
「店員はあなたと同じ人間です」
ということですね。
お金を払っているお客様だから立場が上ということはありません。悪いですが、こちらも慈善事業ではなく、利益を上げるための営業活動ですので、きめられたルールのなかでマナーをまもってサービスを受けられない方は、営業妨害でサービスをお断りすることができます。ふだんはあまりやりませんが、どんどんやっていったらいいと思いますね。
適正な価格で適正なサービスをこちらは提供しているのです。
適正なサービスを提供できないと判断した場合は断る権利がこちらにはあります。

それを勘違い、はき違えてはいませんか?お客様は、お金を払えばなんでもできるんですか?
店員にはきちんとした言葉遣いで、正しい態度で、○○をお願いします。食べ終わった後にはごちそうさまでした、なんて挨拶をするのは当たり前ではありませんか?家族や職場の人間に挨拶するでしょ?
自分で食べたものを食べ散らかして帰っていませんか?ドレッシングでもなんでも、つくえにおいてあったものは元の位置に置いていますか?食器などはトレーのなかにもどしていますか?ちり紙などもまとめていますか?
こういうのって、普通親から学ぶべきものだと思うし、残念なことに親から学べなかったとしても、成長していく過程において、他の人を見て学ぶとか、自分で考えるとか、そういうことじゃないんですか?

ましてや意味不明な理屈で店員に暴言を吐いたり、悪態をついたりというのはもってのほか。万死に値します。お客様は神様ですか~?

特に老人におおいですが、日本語が不自由な海外のアルバイトの人に対しての態度がほんとうにひどいですね。日本人相手でもまあひどいですけど、外人になるととたんにひどくなる人などたくさんいます。
はいもう一度いいますよ、みなさん(特に老人のみなさん)、あなたたちの残してくれたこの生きにくい社会のなかで、日本人の子供はもう生まれません。だから海外から人を雇います。あなたたちが食べ物を気軽に食べて、そして介護をしてくれるのは海外の若者たちです。
はい、いいですか、もしかしたらわかってないかもしれないのでいいますが、海外の方も、肌や言葉は違うかもしれませんが、まったくぼくらとおなじ人間です、あなたとおなじ人間です。自分がとられていやな態度や行為はとってはいけません。大事なことなので確認しました。

まあもうムリなんですよ。
サービス業はこういうクソみたいな客ばっかりがきて、ただでさえ人手不足でひとりにのしかかる仕事が多くなっているなかで、こういう嫌な想いばかりをするということになれば、みんなやりたくなくなります。
無人レジなども、人件費削減というのもあるでしょうけれども、嫌な思いを店員がしないようにするためということも3割くらいその意味合いに含まれるのではないでしょうかね。

とりあえず僕がいいたいのはこれだけです、うざい客死ね。終わり


今後の日本について、若者には希望を、老人には死を

この記事は極めて主観的だし、客観性をよそおっているにせよ、あつめられた情報はネットの悪弊で、似た島のデータでしかない。だから、これをもってすべてを推し量るというのはよくないけれども。大学をある程度の成績で卒業したエリートオタクを自称する僕がここのところ得た偏った情報をもとに思うにいたった2017年5月現在の、とりあえずの分析結果を、ここに記しておこうと思う。何かの役に立てばいいが、役に立つこともなかろう。
ただ現状に対して悲観し、愚痴をはいているだけで、最終的になんの建設的な結論もないので、読む方は期待せずに流し読みしてください。

・「哲学ニュースnwk : 地方の惨状が酷すぎる。バイトは時給800円、正社員でも月給22万円。どうやって生活するんだよこれ」
https://twitter.com/nwknews/status/860509467636490240

・少子化がマジで深刻「子どもの数」は36年連続減少!15歳未満の子供の数は1年で17万人も減る
https://twitter.com/Jin115/status/860524517109579777

・「現代科学の敗北リスト」が笑えるようで笑えないレベル みなさんも気をつけて - Togette... (58 users)
https://twitter.com/hatebu/status/860188808066646016

・200RT : 某コンビニ社員になった新卒が心を壊されたお話
https://twitter.com/Jin115/status/860001366936174592

・200RT : 【ツライ】 大型連休のない接客業が「休みがないより耐えられないのは○○」 に共感の嵐
https://twitter.com/Jin115/status/860001372548218880

まあ基本的に情報や思想に偏りのあるまとめサイトでしか情報集めてませんので、そのレベルの知見なんだなと思ってください。
こんなにも事前に予防線をひくのは、もう人から期待されたりした結果、いろいろな苦情とか意見をもらうのがとても面倒になったからです。コメントはいりません。

なにはともあれ、まあいろいろと日本はやばいですね。世界全体でやばいんだけど、まあ特に日本は終わってますね、という話です。
世界からお話を始めますか。
まあ世界のトップリーダーであるはずの世界の警察アメリカが、オバマのような理性の人間の統治が8年続いたあと、まさかの感情的情緒的人間であるトランプをリーダーとして選んだところから、その世相は見て取れます。オバマも理性的人間だったとはいえ、平和賞をもらったような表の顔とはうらはらに、諜報活動などには力を入れていたようですし、やはり清廉潔白というわけにはいかないでしょう。結局いい意味でも悪い意味でも最先端の資本主義の国において、オバマケアのような社会主義的な思想はまったく受け入れられることなく、すべては自己責任の大義名分のもとによって、理性でおさえつけられたぶん、余計に反発の力が強くなり、トランプのような感情型の人間がリーダーになる結果を迎えたのでした。僕はこれを「幼稚化する現代」と呼びたい。
理性的に熟考を重ねるのではなく、「わかりやすい」自分が一番だという、非常に幼稚園児的な発想、骨髄反射的な発想に現代はなってきている、理性の力の減退ともいえるし、耐える力、堪える力が衰えてきているともいえるでしょう。その理由はいくつもあるにせよね。
本来世界をとりしまり、世界全体をより正しい方向へ向かわせなければいけない世界の警察であるアメリかが、もうその役目は疲れたと、こんどは自分中心主義でいきます、と急に子供になった。
日本も安倍首相のわかりやすい「美しい国」思想によって、憲法改憲、ついには9条に自衛隊を明記するということを明言しましたし、特定秘密保護法、共謀罪など、どんどん右翼化、警察や政府に権限を与える方針でやっていきます。僕もさいしょは奥田君みたいにそんなのは嫌だとデモにいったりしてみたりしたのですが、あ、これはもうとめようがないなということであきらめてしましました。生活面において精神的につかれていたということもありますけれども。まあそれはすべて安倍さんの思惑通りでしょうね。現代の若い人達の気力がない中でこういうふうに推し進めてしまう、それをみていてデモはやってみたけれどもまったくだめだったというところで意志をくじき押し通してしまう。すべて思惑通りでした。
理性の国であるEUを見れば、ギリシア経済の崩壊から、イギリスはEUを脱退。フランスでは現在大統領選挙中。国民戦線という極右政党のルペンという鉄の女が首相になるのか、あるいはルペンがならなかったとしても、自国のために経済に力をいれるというマクロン、どちらをとっても自国保守の思想からは逃れられない状態であります。
みんながみんな、自分の少々の犠牲はやむなし、みんなのためならば、という時代は終わり、もうこんなのやってられるか、俺さえよければそれでいいんだ、の時代の幕開けになりました。

そのような中、日本も自国さえよければの時代になってきているわけですが、まあみなさん余裕がないのでしょうね。でも日本は本当に余裕がない。心理的に余裕がないだけでなくて、ほんとにいろいろな局面において余裕がありません。
まとめサイトでいくつか記事をひっぱってきたけれども、とにかく何をおいても少子化があまりにもひどい。
少子高齢化はもはや歯止めなく、きわめて深刻な問題になっているといわざるをえません。4人に一人が老人のなかで、ゆくゆくは三人に一人が老人みたいな世界になるわけですね。
まあ何が一番悪いって、こういう日本を作り出した今の老人たちが一番悪いので、彼らには早く死んでもらいたいというのが、若者である私の率直な意見ですけれども。
とにかく金をもっているのは老人たちだけ。新入社員の記事がたくさん出てきた4月でしたけれども、まあ新入社員のみなさんは、ほんとうにこの理不尽な日本の社会において、きわめて理不尽な立場に立たされている。昨年の電通の女性新入社員が自殺した問題は大きく取り上げられましたが、あれは東大出の美人だったからという理由でメディアがこぞって取り上げたまでのこと。氷山の一角でしかありません。そこそこの大学を出ている、あるいは大学すらもでていない、顔もよくない男性、女性の多くの人がおそらく自殺していることでしょうし、自殺とまではいなかなくても、精神崩壊状態、うつ病、休職、あるいは仕事を辞めないまでも、自分の生活をまったく生きることができないまま、会社で社畜のように働く、家に帰って寝るだけ、の日々を繰り返していることでしょう。

もう本当にこういう文化は根絶しなければいけない。

だけれども、今60前後の会社役員たち、日本の経済界をひきいる中年たちは、そんなことは意にも介さず、責任を負う(実際は負わない)のだからという理由づけで高価な役員報酬をもらい安寧と暮らし、若者には、その報酬の100分の1である20万で生活しろと。
きわめて進んだ社会主義国である日本といえども、やはり役員たちは2000万をもらい、新卒、あるいはアルバイト、フリーターはそのほとんどの時間と労力をついやしているというのに月収20万、年収200万代というのは、やはりあまりにもおかしな資本主義というしかありません。

非正規も賃金ではひどいけれども、では正社員になったらどうなるかというと、まとめ記事でも引用したように、自分の生活をすべて犠牲にする、自分の時間はまったくとれないという状態になる。
若者に残された選択は、1、フリーターアルバイターで月収20万程度で働く。2、自分の時間、生活をすべて犠牲にして正社員になる。3、ニートになる。のいずれかで、お金と時間と体力に余裕のある生活はどれもできません。

本当にフルタイムで働くと自分の時間をまったくもてません。
となれば、職場での出会いくらいしか出会いはありません。
そもそもいろいろな記事でも話題になっているように、生涯で性交を持った年齢時代も高齢化し、ほとんどが童貞処女。いきすぎた資本主義、恋愛至上主義によるメディア戦略によって、われわれは脳の隅まで、美男美女だけのイメージを刷り込まれていますから、現実の、目の前にあるブスである男女が恋愛対象として目に入らなくなってきているのです。
男性たちはただでさえ経済的にも自信がもてないなかで、自信を喪失し、なにかあればすぐセクハラ、パワハラといわれる間違ったフェミニズムの台頭によって完全に委縮。男性から誘うことはもはやありません。男性はアイドルや二次元、アニメに逃避。
女性もこの後におよんで年収は400万以上とか、イケメンであるとか高身長であるとか、あるいはまだ専業主婦になるということを夢見ているドリーマーばかり。現実を見ていません。反対にふれれば、なに松推しだのと彼女たちも現実逃避。
しかし、現実を逃避したくなるような、現実と向き合ったら精神崩壊してしまう、すくなくともうつに近い状態になってしまうような(少なくとも現実を正しく認識しようとしたら僕はうつになった)現実であることは確かなのですから、まあ仕方ないと言えば仕方ない。
で、時間も金も体力もない。おまけに恋愛のハードルは極めてあがっており、どうせならひとりでいいやという時代。恋愛が成功しているカースト上位の人間でさえ、時間におわれ、体力は尽き果て、金銭的にもきわめて低賃金でこき使われている。
そのようななかで、だれがどうして子供を産もうというのでしょうか。

昔は結婚するのは当たり前で、マイカー、マイホームを持つのが当たり前の時代でした。ところが今では恋愛すら難しい。
これからの日本は、働ける人間の生産はすべて、莫大にふくれあがった老人たちを食べさせていくだけの年金に消えます。そして多くの労働力は、その老人たちを介護するのに当てられます。
老人に投資してもいいことはなにもありません。彼らはもはや何も生産できないわけですから。
こんな美談があります。もうこの世には未練が亡くなったという老人が、自ら食べることをやめ、眠るように息をひきとっていったという話が。私は過酷ではありますが、これ以上自分達の子孫を苦しめるくらいなら、という覚悟で老人のみなさんには老人介護施設でぼけーっとただ消費しかしないのならば、いさぎよく自ら食事を断る、介護を断る、等してみずからでけじめをつけてもらいたい。

この国は俺たちがつくったんだぞと言われるかもしれませんが、それにはこうお答えいたしましょう。あなたたちが作ったこのどうしょうもない世界のせいで、私たちは極めて困窮していると。こんな社会はこちらからお断りだ。こんな社会を作った人間には、その責任をとってもらいたいと。

とりあえずの解決策としては、最低賃金1500円はもちろんのこと、正規、非正規の枠をとりはずしていく。非正規でも福利厚生は正規と同じ、まあ実質正規非正規の枠はなくす。
そのうえで、老人にはどんどんけじめをつけてもらい、役員報酬はなくし、わかものたちにそのぶんの金をまわす。
年功序列ではなく、もっと平等な賃金に。年収2000万と20万が同立なのはあきらかにおかしい。それならみんな30万くらいで平均になればいいでしょう。
そして、長時間労働をやめる。
経済大国を維持するのをやめる。貧しくなるということを受け入れる。世界のなかでの列強をめざす、維持するのをやめる。みんなで貧しくなる覚悟をする。
労働を分配して労働の偏りをなくす。

このくらいです、解決策は。もうほんとうにこのくらいのことしかない。

僕はもう生きていくのがほんとうに嫌です、つかれました。だれか助けてください。終わり



僕はやっぱり、働かない自由があってもいいと思う

6f28837c.jpg


先日、5月7日にこんな番組が放送されていた。
「56歳ニート息子」
「あのニュースで得する人損する人」という有名番組で取り上げられたものだ。
内容は、56歳にもなって、仕事をまったくせず、年金暮らしの親、79歳母の年金、月8万円をつかって、生活している、というものである。本人は一日中働かずに、家でごろごろしているだけ、というもの。
さて、この番組の放送は、かなりの反響を呼んだようである。
番組の放送と同時に私はTwitterをひらいてみたのであるが、#ニート息子というキーワードがトレンドに乗っているくらい、Twitterでも反響があった。
おもしろいので、どのような反応をしているのかと思い、タグを追ってみる。

もぎ太 ‏@okui_mogita
今さあ56歳独身で母親にパラサイトしてるニート息子のやつ見てるんだけどこれさあやらせだとしても現実にこういうの絶対あるよ、見てたらくそ泣けてくるし死んでもこんな人間になりたくねえ。親孝行出来る人間になれんくらいなら自殺する方が何倍も楽って感じだ。

しばくぞおじさん ‏@shibakuzo123
56歳ニート息子、79歳の母親の毎月8万円のわずかな年金で暮らしてるのに、それをあてに生活して、おまけに母親の金でお菓子買ったり、母親の財布から1000円盗んだりしてる。しばくぞ、働け→

[殲滅姫]天使 紗路+ (CV.小倉唯) ‏@_Syaro
ニート息子くそごみじゃねぇか

ひいらぎ ‏@new_hiiragi
56歳のニート息子がトレンドだが40代後半のニート息子や娘はゴマンといるぜ。俺の周りにも居る。親の年金で生きてるクソはモットいる。56歳でニートで健康ってのも厄介だな。普通はそんな生活してたら成人病で早く死ぬのにな。

クロエ@メロディアスペンギン
‏@pyk01
損得見てたらニート息子拗らせすぎて笑えるとか腹立つとか通り越してワケわからん憎悪にも似た感情が…でもこんななる前に若いうちに親もどうにか出来たやろとも思うのよ…



いくつか引用をしてみた。
私はこれらの人の意見を一概に否定するつもりはない。そういう感情があるだろうな、ということは、私も流石に予想ができる。しかしである。
私がいいたいことは次の様なことなのだ。少しツイートしてみたので、それを引用してみる。


なんかテレビで、56歳のニート息子がうんぬんってやってるけど、なにがいけないのか、ちっとも僕にはわからなかった
経済的な自立こそ善だ!というような暴力的な前提がそこにはあるようだけれど、その思い込みさえなければ、働かなくても母親の年金でなんとかやっていけているのだからいいのでは?

働くか働かないかは本人の自由意志なので、むしろこの働くことが善で働かないことが悪みたいな意味の解らない社会で働かないという選択肢をとりつづけてきたその人には、上から目線で叱るなんてとんでもない、よくやったと褒め称えたいくらいだが

前提として、「経済的に自立しなければならない」という価値観があるのはわかる。そして、その価値観を信奉するのもいいだろう。しかし、だ。それを他人に押し付けるなかれ。その自分の価値観を他人にまで敷衍するな、経済的に自立しなくてもいい、という価値観もあることを認めなければなるまいよ

先ほどの56歳ニート息子。
もう少し正確に描写する必要があるようだ。
前提として、本人はあの状態に満足している(少なくとも不満ではない)。もし、本人が働きたい、とかもっといい暮らしをしたい、ということであれば、何らかのアクションを起こす必要があり、それを援助する必要がある

けれども、彼自身はあの生活でいい、と思っているのであって、本人がいいと思っていることを、なぜ他者がとやかくいうのか?というのが僕の論点なのだ。結論はいう必要はない。本人がいいのなら、それでいい、と。

そして親の年金にパラサイトしているぶん、彼は十二分にその制裁を受けている、と僕は思うのだ。
月8万円で二人分の生活を賄うのであるから、一日食費と合わせて2000円程度の生活をしている。すでに最低限の底辺に抵触した生活を送っている彼に、これ以上なんの制裁が必要だといえよう

僕が指摘したいのは、ああいう人を取り上げることはいいことだ。多様な社会の在り方、人生の生き方を知ることができるからね。
しかし、あれを取り上げて、番組全員でぶったたく、なんとかして制裁したい、というその感情があけすけに見えてしまっている、そこに日本人の問題があるのではないか、と

日本は十分に豊かな国なのである。働かなくても餓死しなくて済むほどには。
であれば、生活保護等の制度や、親にパラサイトして、最低限の生活で生きていく、ということになんの問題があろう。彼を叩きたくなる、その自分の心情を、一度きちんと精査して見る必要があるのではないか?

ここからは少し飛躍するが、つまり、働いていないで怠けている人のことを、許せない!それが問題なのではないだろうか?
自分が苦しい思いをして働いているのに何もしないで生きている人がいる。そういう人達への恨みから彼に対して「シネ」だの「クズ」だのという言葉が吐き出されているのではないか

できるだけ誠実にこういう認識の仕方もあるのだよ、ということを描写しているんだけど、あまり共感を得られなさそうだ。それは残念なことではあるが、できれば、そういう生き方もあるのだ、それに対して許せない!という感情がなぜでてくるのか、というところを考えてほしい

自分が働いていて、つまり、いい成績をとって、いい学校をでて、というコースに乗っている時は人は強いし、その強さを他人に強要するものなんだよね。でも、そこからドロップアウトしてみると、それがいかに厳しく、不寛容であることかと思われてくる。



こんなところが、僕の意見だ。
結論から言えば、働かない自由があってもいいじゃないか、ということだ。
当人がそれでいいのなら、それをとやかくいう資格は他者にはないだろう、むしろそういう生き方を認めて上げることが必要なのではないか?というのが僕の意見だ。それと同時に、こういう人たちをみて、死ね、クズ、等の言葉が出てきてしまう、それをTwitterに呟いてしまう、そういう人達の暴力性というものが問題なのではないか?それがいったいどこから出てきているのかをキチンと一度改めて見ることが必要なのではないか?というのが僕の問題意識なのだ。

この番組では、結局この取材されていた人は、吉本のお笑い芸人であることが判明、ネットでは「やらせ」だと、批難殺到している。
しかし、私はそこには特に問題はないと思う。もちろん、これはテレビの演出上のものなのだろう。だから「やらせ」ということはわかる。しかし、たとえここで放送されたものが「やらせ」であったとしても、こういう生活をしている人たちは世の中にたくさんいるのであって、私はその点において、こういう人たちをやや誇張的ではあったが、取り上げたことの意味は大きいと思う。
しかし、問題なのは、番組に出演していた全員が全員、この人物を叩き上げていたことである。
私は、なぜ働かない自由をみとめてあげることができないのか?と不思議に思う。
この人物はすでに、働かないという選択を通じて、それなりの制裁を受けているのだ。いわば極貧生活をしているわけであり、すでに制裁は受けている。それでも本人はいい。極貧でもいいから、働かずに静かに生活をしていたい、そういうことなのだろう。それをダメだなんだと叩くのは、ひどいではないか。
障害者を取り上げて、だからだめだ、なんだと言っているのと構造として同じなのではないか?
今のはやや言い過ぎたかもしれないが、つまり私がいいたいのは、働ける強い人が働けない弱い人を、だからだめなんだというのは、あまりにも暴力的なことではないか?ということなのである。

人はみな、強いわけではない
が、我々はそれをしばしば忘れてしまう。
いい成績を取り、いい学校に入り、いい会社に入り、いい給料をもらい、いい相手をもらい、そういういわばコース、のようなものは、強いひとたちのものである。
みんながみんなそれに耐えられるだけの精神や肉体や状況、環境をもっているわけではない。
彼のように、働けない、働く意思がなくなってしまう人間だって、ごく一部ではあるが、いるのである。そういう人たちに、自分達ができるから、といって、それを押し付けてしまうのは、暴力以外のなにものでもないのである。
我々はまず働かなくても生きている人達のことを、認めるところからはじめなければならない。そういう生き方もあるのだ、ということを知り、それを受け入れること。
人間を働いているか働いていないか、という二択で、いいと悪いにわけることの暴力性。誰もが働けるわけではないし、誰もが働きたいわけでもない。そのようななかで、働かない、という選択肢を選んだ人達を誰がさばけるというのだろうか。
もし、これでもまだ、働かない人間はクズだ、ダメだ、社会のゴミだ、と考える人があれば、そう考え冴える原因は何かを一度きちんと見つめてもらいたい。
少しヒントをつけくわえておけば、それは「社会」によって作り出された「幻想」の「価値」なのかもしれない

黒い雨の感想を読んだ感想

y10.jpg

 今回私はとある学校で教育実習を行わせていただいた。全10回の授業を持ち、導入として、山之口貘の『存在』を取扱い、〈僕〉とは何なのかということを考えた上で、井伏鱒二の『黒い雨』を9回にわけて読んでいった。今回のテーマは、いかに今我々が住んでいる現在が平和であるのかといったことだけではなく、いかに自分達の世界とはかけ離れた世界を読んで、それを自分達と結びつけることができるかということにあると私は思っている。
 生徒たちには宿題として『黒い雨』の感想を書いてもらった。個人情報には十分に配慮している。生徒たちの感想は、大人である我々が読んでも、はっとさせられるほど鋭い指摘や考えがつまっており、これを私の手中に収めておくにはもったいなく、多くの人の考える材料になると判断したため、ウェブ上にこのような形で掲載させていただくことにする。
 生徒に対しては個別にフィードバックをしているが、全体としてのフィードバックは分量の都合上できなかった。これを以てそれとしたい。



 感想を書き終えたら終わり、ということにしないでほしい。感想は飽くまでも途中の段階での報告に過ぎない。一通り10回分の授業が終わり、それを受けて感じたこと、考えたことを書いてもらった。そのなかで見つけた視点や、問題点をこれから君たちが持ち続け、9月の研修旅行でより深めて行ってもらわなければ意味がない。
 そのためにも、個別にはそれぞれ考えを深めてほしい点などを書いて返却したが、全体評を述べておきたい。

 今回の感想文では、私は次のようなポイントを高く評価した。
・戦争や原爆といった私達からかけ離れたものをなんとか自分とつながりのあることがらとして捉えようとしている。過去の ものではなく、現代にも通じるものとして、捉えようとしている。
・また、それに対して自分は何ができるのか、何をしなければならないのかを考え、具体的に提示できている。
・描かれていた登場人物に感情移入することができている。少年に感情移入していることも重要だが、父の立場に立ってみたり、おばあさんの立場に立ってみたりすることができている。

 10回の授業を受けて、どんなことを感じたか、考えたか、またどんな意見を持ったか、感じ、考えたことに対してどう自分はアクションするのか、そういう部分を評価の基準にしている。
 単に授業の内容の要約や、物語に書かれてあったことをさらっただけの感想はあまり評価できない。それは誰でもが書けるものだからである。〈僕〉は〈僕〉何だという通り、〈自分〉の考えや意見を書いてほしかった。

 いくつか生徒たちの感想を引用しながらみんなももう一度考えてみよう。
〈私は戦争とかは自分には関係ないし、知りたくもないと思っていました。しかも、自分は戦争なんて経験なんてしていないし、本も読んだ所で分かったふりをするのが面どうだったからです〉
 これはある生徒の感想だ。衝撃的な内容ではあるが、自分の気持ちを正直に書いていてよろしい。当初このような感想を抱いていた生徒は多かったのではないか? 私だってもちろん、面白おかしく授業をやりたいという気持ちはある。何もこんなに暗くて悲しい物語を取り上げなくてもいいじゃないかとも思ったものだ。だが、そうではない。私自身授業を進めていくうちに、これは伝えなければならないというものが見えてきたりした。それは生徒たちにも伝わったようだ。他の生徒は〈しかし、だんだんと読んでいくうちに「何故こんなことに」など深い悲しみを感じ〉たという。他の生徒からも「興味深い」といった意見が出た。

 ただ一つ気になる点がある。多くの人が「伝えていなかければならないと思った」、「伝えて行きたい」といった言葉を使うのに対して、一部の生徒からは「伝えて行ってほしい」「二度とおこらないでほしい」といった消極的な態度が見られることだ。もちろんまだ中学三年生だ。社会に出たこともない。自分が何を出来るのかということもまだよくわかっていないだろう。わからないなかで、なんとかそうして欲しいという願いをしたくなるのはよくわかる。だが、いつまでも「~してほしい」という態度ではどこかに無理がくるのではないかと私は思うのだ。是非「~してほしい」から「~したい」に変わることを願う。

 もう一つ気になる点がある。それは、戦争反対に対して利益になるものが何もなく、害しか生まないから戦争をしてはいけないという感想があることだ。一見非常に論理的に思われるのだが、この論理だと、たくさんの利益を生みだして、害をほとんど生み出さない戦争というものができるようになると、戦争を反対する理由がなくなってしまう。
どうやら損得でものごとを考えていると、戦争に進んでしまう危険性は取り除けないようだ。戦争に反対するならするなりに、もう少し損得以外の尺度で考えて行かなければならないようである。

内容別にまとめて感想を見てみよう。

研修旅行に向けての心構え
・〈平和について教えてもらってきます。原爆ドームもしっかり目に焼き付けてきたいと思っています。楽しむだけでなく、この「黒い雨」の文章と(省略)授業を思い出しながら広島の人の話を聞きたいと思います。〉

生き方が変わった生徒
・〈これを読んで平和な時に生まれて本当によかったと思っています。昔の戦争の時代に生まれた人は、着てみたい服を自由に着れなかったり、食べたい物を好きなように食べられなかったり、みんなが不自由な生活をすごしていたと思いました。だから僕は平和な時そして平和な国に生まれてこられたので、これからの人生でできることは全力でやっていきたいと思います。〉
・〈ボロボロになりながらも前向きに生きようとしている所、私も見習いたい〉
・〈どこか自分の身の上には起こるはずも無いと他人事のように考えている自分に気づき、少し情けなくなりました〉

存在の大切さ
・〈人間一人一人にちゃんとした人生があることを考えてほしいです。〉
・〈私はたまたま平成という時代に生まれて、私はたまたま東京で生まれました。原爆がおちたその時に広島に居て、生きていたらたぶん私は死んでいると思います〉
・〈そう考えると自分が今、存在していることが奇跡のように思えてくる。これから人生を歩んでいくうえでこの幸せをかみしめて生きていこうと思う〉

戦争批判
・〈原爆とは日本の負の歴史なのである。日本人はそれを背負っていきているわけである。日本国民はこの負の歴史を永遠に背負わなければならないのである〉
→これはまさしくその通りなんだ。すべてのことは無駄ではない。「失敗は成功のもと」という言葉もあるように、確かにこれだけを切り取れば「負」でしかないわけだが、それを今、それから未来の平和に結び付けられた時、その「負」は「負」ではなく、「正」を作り出すためのプラスに変わっていくのだ。

・〈自分の国の負けた話など、知りたくもありません。ただ、戦争によって引き起こされた悲劇には目を反けてはいけないと思います。嫌いでも何でも体験した方の本などは、僕らが大人になってから戦争を引き起こさないために必ず、読んだ方がいいと思います。〉
→ただ、心が繊細でどうしても背けなければならない時には背けるのも仕方ないとも思う

・〈戦争を始めたのは、総理大臣や政治界の大きな権力を持っていた人達ですが、その人達に何も言えなかった人達も責任があると思います。そのとき国民全員で戦争をやめさせる様に言えば戦争はとめられていたかも、しれません〉
→その通りだ。これは他のことにも言える普遍的な問題かもしれない。例えば身近なところで言えばいじめ問題だ。もちろんいじめをした人間が一番悪いことには悪いのだが、それを知りながら放っておいた側にも責任がないとは言えないのだ。このように、いかに自分は関係ないと澄まして、現状を悪化させるよりは、いかに自分にも責任があるのだと考え行動したほうが世界はよりよくなるだろう。
 またこの生徒はするどい視線の持ち主で、〈日本も中国や朝鮮などの人々をつかまえ、人間とは思えぬあつかいをしていた様です。なので戦争には誰がいけないとかはないと思います〉と述べている。
 これは大人でもなかなか持つことのできない視点だ。テレビを見てみれば、真っ赤な顔をして、どこどこが悪いと怒鳴り散らしている大人たちの姿が見える。しかし、どちらかが一方的に完全に悪いという場合はそうない。ケンカを考えてみればわかるはずだ。どちらかがケンカをふっかけたとしても、それをふっかけさせる原因をその人もつくっていたはずなのだ。原爆を落としたことは確かにアメリカが悪いのだが、だからといって戦争すべての責任がアメリカにあると、一方的に憎むことは事実を曇らせるおそれがある。自分達もひどいことをしていたという視点を忘れないことが、これからの多様な世界を可能にしていく視点だろう。

今後の自分の行動
・〈日本は世界の国で唯一、原爆の被害をうけました。このことを、きちんと伝えて行きたいと思います。〉
・〈唯一原爆を落とされた国として原爆の悲惨さを伝えていくべきだと思いました。〉
・〈これから自分は原爆の事を勉強して、二度と戦争が起こらないような世界をつくっていきたいと思いました。〉
・〈多くの人が亡くなっています。私たちは、戦争を体験した年代ではありません。だからこそ、私たちがしっかり理解し、学び、語り伝えなければなりません〉
・〈当時の人たちが何を思って生きたのかなんて、どんなに戦争について書かれた本や資料を読んだところで、きっと経験していない人には分からないだろう。それでも、それらの本を読むことは戦争の知識や同情の心は芽生えるだろう。それがたとえ戦争の半分も分かっていなくても、わたしたちにとってとても必要なことだし、もっと人々に話して継げていくべきことなんだな、と思う〉
・〈もし、『黒い雨』などの戦争のことをかいた本がなかったら、戦争の恐ろしさを知らない人達が、また戦争を起こすかもしれません〉
・〈僕はその人たちの死をむだにしないで、継続的に国内にも海外にも、平和を訴え続けなければ、戦争で死んでしまった死がむだとなってしまうと思いました〉
・〈この作品は僕たちの世代だけでなく僕たちの孫の世代、さらにその孫の世代と語り継いでいかなければならない作品だと思いました。なので僕はこの作品を色々な人に広めたいと思います〉
・〈あれだけの教訓を後世(前の世代の間違いか)から伝えてもらったのに、また戦争・原爆という惨禍をしようとしているのが不思議でならない。僕は、この平和主義という絶対的な盾をみずから手離したくはない〉
・〈平和を維持するためには原爆や戦争を怖がっているだけではダメなんだと、たとえ小さな事でも出来ることがあるならしてみようと思いました〉

「今」の問題として
やはりこれだけ自分達の住んでいる世界とはかけ離れているものを、自分達や今の問題として捉えることができているのはすばらしいことだと思う。こういう想像力をみんなには身に付けてもらいたい。

・〈原爆のかわりにもなってしまう原発も一見便利であるが、事故が起こると原爆のようになってしまいます〉
・〈今、私たちが戦争の話を直接、体験した人に教えてもらわなければならないと思いました〉
・〈今、現代の戦争を知らない人達ができることは忘れないこと。二度とくり返さないことだと思います〉
・〈昔の人は戦争を嫌がることすら許されない世界だったけれど、今の私たちには発言する権利があります。だから、この広島にあったことをみんなが忘れてはならないし、そのことをたくさんの人に伝えられたらいいなと思います〉
・〈僕たちは昔こういうことがあったと考えるんじゃなくて二度とこういうことが起きない為にはどうすればいいかを考えていくことが自分たちが今すべきことだと思います〉
・〈今も戦争を続けている国や爆弾やミサイルなどを所持している国がある。だから私たちはそれらの国に、原爆のもたらす被害、また実際に原爆をうけた先人たちの思いを語り続けなければならないと思った〉
・〈原爆や戦争反対の意識がうすれていっている今、祖母たち(この生徒の祖母は被爆者だそうだ)の体験が無駄にならないように、原爆と何らかの関わりがある私のような人が先陣をきって、うったえねばならないと思う〉
・〈東日本大震災という想像が出来ないことなども経験して、今僕たちはなにが出来るのかということを考えていきたいなと思います〉
・〈私たちは、戦争を起こしたくない。この悲劇をくり返さないことが、今の私達のできることだと思う〉
・〈東日本大震災で原発の放射能がもれた時と同じように、今もなおこの後遺症に苦しめられているんだと思う〉
・〈戦争の悲しみはもう取り戻せるものではないので、再び同じことが起こらないようにしなければならない。(中略〉今は再び戦争が起こることのないように務めたいと思います)

日常と異常と幸せ
・〈今の日常の大切さがわかりました。(中略)勉強や遊びを普通にできていることを尊く思い、一日一日を大事に過ごしていきたいと思いました。〉
・〈自分が今平和な世界に生きられていることが幸せなことなのだと気付きました〉
・〈人類が二度と侵してはならない戦争によって私たちが今平和に生きれているということに気付かされました〉
→私はキャリアガイダンスの時にも「幸せになってほしい」と述べたが、その幸せについては何も言及していなかった。もし、幸せというものがどこか遠くにあり、ごくわずかなトップの人間しか得ることのできないものだと考えている人がいたら、少し考えを変えてみよう。幸せというのは、本当に自分から遠いものなのだろうか。もちろん、ある側面では自らが勝ち取っていくものもあるだろう。しかし、今自分があたりまえのように置かれている環境、状況を一度考えて欲しい。それらは本当に「当たり前」なのだろうか。私達は幸いにも、文学や歴史といったものを学ぶことができる。そこから私たちは私達の当たり前とは違った世界を覗くことができる。そして自分を振り返ってみた時に、自分たちの当たり前がいかに当たり前でなかったかに気が付くことだろう。そうしたものが本当に見えてきたとき、あなたは幸せの別の側面をも発見できるだろう。

・〈自分の幸せのために、他人の幸せを奪うなんて、あってはならない事だ〉
→これが幸せの基本ルールなのかもしれない

最後にこの感想をまとめるにあたって、とても美しい祈りにも似た言葉でしめくくりたい。

・〈今日こうして透明で美しい雨がふり、白い雲が浮かんでいる青い空の下で生きていることが当たり前になっている平和が、永久に続きますように〉

プロフィール

幽玄

Author:幽玄

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
カウンター
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

アクセスランキング
[ジャンルランキング]
小説・文学
227位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
その他
16位
アクセスランキングを見る>>
フリーエリア
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。