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荒木飛呂彦『ジョジョの奇妙な冒険 Part3 スターダストクルセイダース』試論 感想とレビュー 荒木作品のヒーロー像の変化

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-初めに-
 荒木飛呂彦のマンガ、『ジョジョの奇妙な物語』は2012年10月5日から2013年4月5日まで、part1の『ファントムブラッド』とpart2の『戦闘潮流』がテレビアニメ化され、それ以前からマンガファンの間では人気があったものの、ここ一二年で急激に認知度が高まりました。part1とpart2はかつて論じたので、今回は多少ブランクができてしまったものの、part3を論じます。
私がpart1とpart2を論じたのは、アニメ化される前だったので、非常に独特の表現をするこの漫画がどのようにアニメ化されるのか大変興味がありました。時間の都合上、アニメ作品を全部見ることはまだできていないのですが、かいつまんでみたところではまずまずよかったと思います。マンガファンの人たちの反応も落ち着いていますから、ファンの解釈と、アニメ制作者たちの解釈がほぼ同じものとなったのだと思われます。

-表現方法について-
マンガを読み解く際、技術的な側面を指摘する場合は一般的に「マンガの文法」とメディアを論じている人々は表現します。例えば、何かある物体が早い速度で移動しているのを表現しようとして、そのもののあとに線をいっぱい書き込む。これを「スピード線」と言ったりします。漫画は、これだけ日本のサブカルチャーとして世界に誇れるものだと認識されているにも関わらず、いまだアニメを含めこちらの分野の研究は発展途上です。これからは、研究に耐えるものなのだということを、多くの研究者が証明していかなければならないと私は思いますが、アニメやマンガの研究者というものは、学部がありませんからありません。こちらの方面もカバーできるとして、一部の文学系の研究者やメディア研究者が論じられる程度です。
さて、『ジョジョの奇妙な冒険(以下略「ジョジョ」)』は、漫画文法からかなり逸脱した部分があります。大抵こうした技術的に漫画の文法から大きくそれた作品というのは、一発屋で終わってしまうことがあるのですが、漫画家荒木飛呂彦の作品がこれだけ長い期間多くのファンを魅了してきたのには、下敷きとなっているモチーフや思想など、骨組みがしっかりしているのです。作品全体のテーマとしては「人間讃歌」が下敷きとなっています。
マンガ「ジョジョ」を読んでいて特に気になるのは、まずコマの振り方です。漫画は一枚の紙面にコマと呼ばれる箱型の枠組みによって、時間や視点のことなる絵をいくつか右上から左下へと読むという約束のもとに配置されています。しかし、この作品では、時にその約束を破壊して、縦一直線で絵の天が右、地が左という、90度回転された絵が登場します。今までの漫画でもこうした技法は多少はあったようですが、画面いっぱいを使って90度回転さえた絵を多く用いたのはこの作品が初めてのようです。各章のはじまりに多いこの90度回転された絵は、一見すると見づらいかもしれませんが、この作品は「冒険」がテーマですので、横に広く描かれた風景というのは、未知の領域に旅する際の、不安やときめきを読者に与えます。
また、何といってもこの作品を他の漫画とは差異化し「ジョジョ」たらしめているのは、漫画中の明暗・コントラストの強さです。トーンやベタを繰り返して、異様なまでの陰影をつけることで、立体感が芸術的と言っていいほど現れています。一枚一枚の絵がデッサンのごとく、立体感があり、それが戦う戦士たちの肉体美を際立たせているのです。精神にしろ、肉体にしろ「強さ」を表現するこの表現方法があったからこそ、この漫画が他の作品とは異なっているのです。

-三部の設定-
三部は1991年から1992年にジャンプに連載されました。三部となるこの作品では、副題が「スターダストクルセイダース」となっています。この副題は、後に着けられたもので、週刊少年ジャンプ連載当時の副題は「第三部 空条承太郎 ―未来への遺産―」となっていました。
三部では、今までの一部、二部とは異なり、主人公たちの操る能力が、波紋から、「幽波紋(スタンド)」というものに変化します。二部で青年だったジョセフ・ジョースターが、老人として主要人物として旅に同行するなど、時間軸は一つのものの上にあります。また、最大の敵となるDioは、一部でジョナサンの肉体を奪って100年間海底で眠り続けていたディオです。棺桶のような箱に入ったかたちでDioは発見されますが、この部分は、エリナとその子が入って救われたはずでしたので、船に二つの桶があったという描写がなかったことから、作品内の小さな矛盾であると思われます。ジョジョは同じく、ジャンプで人気の漫画ワンピースとはことなり、作品内で矛盾があることが多い作品ですが、それを作者は誤りだと認め、様々な部分で謝ってきました。それが別段作品を読む読者にとっての非難の的となっていないことは、作品の読者が若くこまごまとした部分にうるさい世代ではないということが多いのかもしれません。

100年の時を経て復活したDio。その肉体がジョスター家のものであったことから、Dioから発せられる何らかの影響があって、ジョセフ、ホリィ、空条承太郎の身体にも異変が生じます。「スタンド」といわれる能力は、一部、二部が肉体の強さをテーマとしたのとはことなり、精神面の影響を受けるものであるということが作品内部からわかります。スタンドは「その人を守ってくれる、守護霊のようなものである」と定義づけされ、スタンドが傷つくと、スタンドの使用者である本人もスタンドに対応する箇所が傷つきます。また、このスタンドの強さは、精神の強さと比例しており、さまざまな能力や性質が異なるものの、一般に、できるという意志の強さが影響していると思われます。
突如としてスタンドの能力が現れた三人ですが、他の登場人物たちは、Dioが復活する以前から、一人でにスタンドの能力を身に着けていたことが判明します。ですから、自然発生的な超能力であることがここからわかります。ジョースター家でなくとも、スタンドは使えるのです。ただ、波紋法のように、修行をすれば誰でも得られるということではなく、スタンドは運命によって、能力が与えられるということに大きな違いがあります。
この作品のテーマは、精神的な強さとともに、「運命」でもあると私は思います。登場する敵は、タロットカードをモチーフとした能力の持ち主たちですが、そのタロットカード自体もまた運命を占うものです。Dioの復活ということは、主人公である承太郎とジョセフにとってもまた、仕組まれた運命、先祖代々受け継がれてきたある運命の物語なのです。
現在映画化されて話題となっている『シュタインズゲート』ですが、これもまた運命という大きな流れのようなものに対してどのように立ち向かっていくのかということがテーマとなっていると私は思っています。『ジュタインズゲート』では、その運命を変えるために、時を操るタイムトラベルを使用しますが、「ジョジョ」では、運命に対して「スタンド」をもって、立ち向かっているのではないかと思います。
ここでは、「運命」を乗り越えたということが、最初から仕組まれていた運命だというよな、複雑な運命論はしません。ごくごく単純な、回避不可能と思われるような主人公たちにとって不利な運命と思われるものに対して、どのように立ち向かっていくのかということのみで考えたいと思います。

-ヒーロー像の変化-
一部、二部が、「あるべきヒーローの姿」や「強さ」を表現するために、多少うるさいと感じられるほどのナレーターがしばしばに登場し、不自然なリズムを作り上げていましたが、この作品でも不明なのは、主人公承太郎の精神の強さが描かれていないということです。ジョセフもまた、前作からの連続性があるのにもかかわらず、ほとんど波紋を使うということはしません。
一部、二部、また作家レベルで考えると『バオー来訪者』も含め、今までの作品の多くが、敵がやってくるという構図だったのに対して、この作品はこちらから出向いていくという構図に大きく流れがかわったということが指摘できます。今まではそれほど数の多くない強敵との死闘を繰り広げるという作風だったのが、今作では、それほど強くない敵が道中待ち受けるものの、少年漫画の王道のようなスタイルを取った作品に変化しています。運命を占うカードであるタロットや、エジプトの神々の名を冠された敵を順番に倒していく、途中で、敵だった人物が仲間になったりと、敵と戦い、強くなり、また敵と戦うという構図が明確に浮かびあがってきます。ただ、この作品が単なる王道作品とはことなるのが、先ほども述べたように、主人公承太郎の成長が描かれないという点です。
花京院やポルナレフが戦いの途中で、次第に強くなっていくという成長は多少見られますが、承太郎は最後のDio戦の時に、突然時間を操る能力をわずか短時間で身に着けるというめざましい成長のほかには、これといった描写はありません。そうしてまた、承太郎は今までのジョースター家の主人公が多弁で明るい性格付けがされていたのとは反対に、無口で暗いタイプです。ジョースター家の性格は、同行するジョセフが一人で負い、また敵の能力や作品の設定を説明するのは、占い師であるアヴドゥルが役割分担されています。この点からみても、承太郎が今までの荒木作品とも、また王道作品ともことなったヒーローとしてかなり異質な存在であるということがわかると思います。

 作品をより抽象的な観点から考えれば、無口で特にこれといった修行もせず、最初から最強にちかい強さが与えられている主人公というのは、今までの蓄積であると考えることができると思います。敵が襲ってくるという構図から、敵を倒しに行くという構図に変化したのもまた、今までの長い戦いのなかで、主人公側が蓄積したものがあったからでしょう。強さを蓄積した主人公側は、突然敵に襲撃されるということではなく、むしろ敵を襲撃しに行くようにと変化したのです。その冒険の間では、それぞれ個性的な、総勢30名近い敵が彼らを待ち受けています。これがこの作品の長い冒険を彩って、作品を魅力的なものへとしています。ただ、なぜか敵は一丸となって襲うということはせず、グループである承太郎たちに単体で攻撃を仕掛けてきます。これは、おきまりのパターンです。
 最後にDioを倒すことによって、見事運命に打ち勝った彼らのその先に、どのような冒険が待ち受けているのか、蓄積をしたヒーローが次にどのような敵を倒しに行くのか、ジョジョの冒険はまだ始まったばかりです。
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漫画「ジョジョの奇妙な冒険」への試論 ジョジョ論・ファントム・ブラッド編 象徴性と相対化・善悪を超えた人間の力への欲望

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-初めに-
「ジョジョの奇妙な冒険」は荒木飛呂彦による日本の漫画作品。『週刊少年ジャンプ』に1987年から2004年まで、ウルトラジャンプ』に2005年から長期連載されている。ジョースター一族と、邪悪な吸血鬼と化したディオやその後継者たちが、2世紀以上に渡り繰り広げる戦いを描く大河群像劇。
ジョジョ展も開催され、10月からはアニメ放送がされるなど、メディアミックス的展開を成し遂げるに至った『ジョジョの奇妙な冒険』。今回は、それぞれのパートごとに、一体そこに何が描かれているのか、どのように表現されているのかを、考えて行きたいと思います。

-作品主題とパート1の性質-
この作品全体の初めにして、原点。最初のジョジョはファントムブラッドから始まります。ジャンルわけでは、ホラーアドベンチャーということになります。ファントムブラッドにおいて、主人公は二人であると考えたほうが良いでしょう。一見するとタイトルからの影響もあり、ジョジョ(ジョナサン・ジョースター)が主人公に思われますが、冒頭からディオ・ブランドーの視点で描かれている点など、主人公は全く正反対の二人になっています。
全体のテーマは「人間賛歌」と作者自身が言っている通りです。パート1、2にいたっては、人間は何処まで強くなれるのかというテーマにも言及されています。
パート1に関しては、力を得るために、二人の全く正反対なアプローチが描かれます。ディオは明確です。仮面の能力を手にして、史上最強の力を得る。ただ、この仮面の能力は人体改造を行い、肉体、精神ともに「人間ではなくなる」のです。ですから、人間としての存在を諦めた上での、力を得るという目的を達成するのです。
一方ジョジョは、人間として力を得る。若いころは裕福な家庭に生まれたという理由もあり、本当の紳士になろうとしていたジョジョ。貴族主義の思想がここには描かれています。貴族というのは、確かに金と権力があるが、平民の上にたつ人物でなくてはならない。そのための鍛錬を怠ってはいけないという思想です。支配者は、支配者なりの努力を行わなければならないという考えです。
ジョジョは精神的紳士になろうと勤めます。そこに、来訪者。これは後に論じるつもりですが荒木さんの『バオー来訪者』と同じ構図が窺えます。外界からやってきた、圧倒的な力を持つ存在。しかも、ジョジョにおいては、それは自分の存在を否定する、アンチテーゼとしての存在なのです。ですから、ここでジョジョは大いに悩むのです。
今まで支配者階級から紳士になろうとしていたジョジョ。しかし、その階級ごと奪おうとしている存在がやってきたことにより、支配者階級からの紳士ではなく、人間としての紳士になろうと変化するのです。
来訪者であろうと同時に、略奪者であるディオ。ジョジョから全てのものを奪おうとします。愛犬、恋人、父親。この冷静な判断力があり、野望のためならどんな非情な手段をも躊躇しない冷徹な男が、どうしてジョジョのようなか弱い男を早く葬りさることができなかったのか。その原因はやはりディオにあるでしょう。技を小出しにしすぎたというのが私の考えです。もちろん物語上ジョジョが死んでしまえばそれで終わってしまうのですが、ジョジョが耐えられる限界すれすれのあたりを攻め続けたために、ジョジョをより精神的に強くしてしまったというのが、ディオの失敗です。そういう意味で、人間を滅ぼすことのできなかったディオは、仮面を被るまでは人間であったのです。そのディオが人間をやめる。それが仮面を被るということなのです。

-仮面と象徴性-
仮面がモチーフになっていることはとても興味深いことです。仮面がその人物に与える影響というのは心理学でも大いに研究されています。人間はそれぞれ多かれ、少なかれ、何某かの仮面を被って生きているもの。仮面はその人物の顔となりますが、また同時にその人物の嘘偽りでもあるのです。仮面を主題とした作品は、三島由紀夫の『仮面の告白』や、映画『マスク』シリーズ。これらの作品に共通するテーマは、己とは違う、別の己を手に入れること。仮面を被るということで、今まで出来なかったことが出来るようになるのです。仮面は、一つの人格です。宗教的なトランス状態にも用いられました。
ベニスを題材とした作品のなかには、あの有名な祭りで仮面を被る男女が描かれますが、常にそこには怪しい雰囲気がただよいます。決してプラスの正の存在としては描かれないのです。どこか不気味な、不敵さがある。特にあの仮面の笑いというものは、恐怖とすでに結びついています。
仮面の存在は、多くの作品のなかで、自己を隠すものという原点からはなれ、理性と感情を配した、恐怖と結びついてしまったのです。
この作品においての、仮面には宗教的な意味が強く残っています。何か知らの宗教的儀式があり、そこで怪人的な力を得ることに成功した人物が描かれます。ただ、この力は諸刃の剣。人間として生きるのを放棄した結果、どのような結末が待ち受けるのかは誰が予想しても同じこと。究極的には破滅が待っています。
破滅が待っていると知りながら、ただの人間として過ごし死んでいくことは出来ないのです。人間は眼前の欲望に負けてしまう。そこを突いたために、この仮面という存在は魅力があるのです。ですから、翻って考えれば、眼前の力を追い求めたディオは、ある意味最も人間的であったとも言えるのではないでしょうか。眼前の力よりも、長い期間の辛い努力の結晶による力を得ようと考えたジョジョは、ある意味人間的でないとも言えますし、それだけ強靭な精神の持ち主であるともいえます。
だから、ディオも決して完全な悪というわけではないのです。寧ろ、人間としての弱みに付け入られた被害者であるとも考えることができます。そうしてまたジョジョもただの正義というわけでもない。この作品は、勧善懲悪という道徳的テーマからはなれ、人間の善、悪というものをともに肯定した、相対的な作品であるといえます。

-ジョジョをつなぐもの-
ホラーアクションというジャンルにわけられるように、『ジョジョの奇妙な冒険』のはじめは、ホラー的要素が強いのです。
先ずは舞台設定から。19世紀という時代はどのような雰囲気があるでしょうか。産業革命が起こってから、人間の社会は、工業などが発達し、物量の時代となりました。その半面、物質に圧倒された人間は、人間性というものを失っていきます。物質的には豊かになったが、精神的には貧しくなったということです。今まで人間が行っていたことが、機械に変わってしまうと、人間は次第にその存在意義に疑問を感じ始めます。経済格差が開き、下層の人間は雑巾のようにこき使われる。この病理的な精神の状態が、全体としてあったのです。それが切り裂きジャックのような狂気的な殺人を犯すような社会現象として表れたのでしょう。
またこの時期、科学工業による人体への影響も表出します。特に有名な「霧のロンドン」などは、実際霧ではなく、工場から吐き出される煙の影響だったというのが現在の一般的な見解です。そのような環境で、人間が心身ともに健康であるはずがありません。ですから、感染病という恐怖が今までよりも、さらに色濃く出てくるわけです。
この作品では、仮面という宗教的な事物からはじまっていますが、いつの間にか吸血鬼的な感染力を持つ恐怖へと変容されています。そのつなぎが上手いといえば上手いのです。何時の間にか仮面を被った人間が、人間ではなくなり、吸血鬼のような存在になっている。このように論理的に考えれば、仮面は結局吸血鬼製造マシンだったのかということになり、なんだか少し不自然なようですが、漫画を読んでいるかぎりでは、その流れは説得力を持っています。

また、この作品のモチーフの一つに血があります。それは血のつながりでもあります。血というのは、人間のどのような側面をもつでしょうか。神聖なものとする文化もあれば、不浄のものとする文化もあります。副題にもあるように、ファントム・ブラッドですから、血の仮面なわけです。この仮面は人間の血を吸うことによって、仮面をつけた人間を吸血鬼、血を吸う人間へと変化させる。血つながりでこの作品はまとめられているのです。
血のつながりといえば、ジョースター家の血統もまた血のつながりになります。ジョースター家は一般に背が高く(皆195cm)頑強な身体をしていて、社会的に認められている。しかし、家族は薄倖で、短命であるというのが、ジョースター家のジンクスです。
血のつながりというものは、運命的な思想からきているものでしょう。一族を結ぶ血の流れ。血にかけられたのろいのようなものが、ここには描かれているのです。ですから、ジョースター家からはなれることはできないし、ジョースター家からはなれないことが、この作品の根幹にもなっているのです。
そうした意味で、この作品は一族の物語として読むことが出来ます。家系図を書きながら読むのも一つの楽しみです。
それぞれのパートのつなぎ方は、その作品の本質を表します。例えばガンダム。ガンダムのつながりは、その名の通り、ガンダムと名が冠された機動戦士を巡る物語。私は以前アムロを巡っているのかと、勘違いしていましたが、主題はアムロではなく、ガンダムにあるということです。この作品も、タイトルにあるように、ジョジョを巡る物語。それぞれの時代のジョジョが主人公となるのです。

-最後に-
この作品は、物語のはじまりであり、これからジョジョのたびが始まるということで、外界からの訪問者が多く訪れます。ジョジョは、運命の歯車に巻き込まれるようにして、冒険をせざるを得なくなったのです。それは仮面の呪いでもあり、必然の運命だったのかもしれません。しかし、このパート1にかぎって、ジョジョには主体性のようなものがあまり描かれていない。ディオにしても、向こうからやってきた存在であり、ツェペリも向こうからやってきた存在なのです。皆がジョジョをひきこんで、奇妙な世界へと連れ出していくという構図になっています。
外界からの来訪者が、ジョジョを次第に強くしていく。パート1の冒険の最後では、ハッピーエンドになるかと思いきや、最後の最後にどんでん返し。ジョジョはなんと命を落としてしまうのです。ここでも先ほど述べた相対化がなされています。完全な悪、完全な善というものは存在していないのです。
この作品の成功している点は、どんでん返しがそこまでないという点。よくあるアクションものでは、どんでん返しの連続によって、読者が辟易してしまうことがあります。しかし、この作品ではどんでん返しはある程度抑えられ、それが成功していると感じられます。絵自体が完成されているぶん、技名や、最終奥義などのかっこつけが少なかったという点が成功したのです。
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