小野不由美『月の影 影の海』 感想とレビュー 文学史上最も困難な冒険をした女性主人公

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-はじめに-
以前、小野不由美の『魔性の子』を取り上げました。前回取り上げた『魔性の子』は、十二国記シリーズの外伝的な作品です。今回取り上げる『月の影 影の海』は十二国記シリーズの一巻目となる作品です。この作品は、直接『魔性の子』とはかかわってこないのですが、後の十二国記シリーズ、すなわちこの作品の後の作品では、『魔性の子』に登場した人物が登場し、その連関性がわかります。
この作品は1992年初出。『魔性の子』の翌年に書かれた作品です。その後の十二国記シリーズは、連続して、ほぼ一年のペースで描かれます。2013年6月現在、新潮社から完全版として出ている十二国記シリーズは、4部目の『風の万里 黎明の空』までです。


-あらすじ-
 10年ほど前にアニメ化されたのをうろ覚えでこの作品を読み始めました。ページをめくると突然現れる十二国図なるものと、その一部の拡大であろう巧国北方図なるものが読者を物語世界へといざないます。
 前作『魔性の子』が、作者の造語である「故国喪失者」というものテーマにした作品でした。『魔性の子』では、それぞれ自分の戻るべき場所があるはずなのだけれども、それが一体何だったのかよくわからないし、戻れないという葛藤のなかで、どのようにして今生きている世界と向き合うのか、どのように生きるべきなのかという葛藤にありました。今回の作品でも、ある側面からみれば、この「故国喪失者」というテーマが浮かび上がってくると思います。
 三人称登場人物の視点で描かれる作品です。主人公陽子は、不思議な、しかも怖い夢を見ます。一か月の間おなじ夢を見続け、その夢に登場する異形の獣が徐々に徐々に近づいてくるという恐ろしい夢です。これは、ミステリーホラー小説を書いている作者の力量とも考えられます。
 主人公の陽子はどのような人物造形なのでしょうか。陽子は染めていないのにもかかわらず、赤毛の持ち主です。それを学校では厳しく叱り、親は染めるように促しています。生まれつきなのにもかかわらず、学校側はそれをいぶかしく思い、真面目で実直な陽子にとっては、染めることが禁止であるという規則の方が重く思われて、黒くそめるのも抵抗があり、板挟みにあっています。教室でも、今でいういじめが起こっていますが、どちらの側にも立てない彼女は、その中間で板挟みにあっています。彼女自身としては、いじめるのはいけないとわかっていながらも、それをだめだとは言えない。しかし、友人たちとも仲良くしていたいというなかで、自分では決していじめないながらも、いじめているグループに属しているという宙ぶらりんな立場にいるのです。そんな彼女を不思議な現象が襲います。突然学校の中に長い金髪をした男が現れます。その男が現れると同時に、窓が割れたり、不自然な攻撃が陽子を襲います。男は陽子を護と言いながら、剣を抜き、戦えと言います。一介の高校生であった陽子にはそんなことできるわけもなく、逃げ惑うなか、最終的には金髪の男の手下である妖魔の力を身体に憑依させることによって剣で戦い、襲ってくる魔物を倒します。しかし、依然として襲ってくる魔物の大群。とても勝てるはずもなく、陽子は妖魔と一緒に逃げます。あちらに行けば助かるという意味のわからない言葉を信じ、陽子は別の世界へと旅立つのです。

-ジャンルの壁を越えて-
 この作品は、今でいえばライトノベルのジャンルに分けられるかもしれません。日本人はとにかくラベリングが好きな種族ですから、なんでも分類したくなります。しかし、この作品が発表されたのは、ライトノベルという言葉が広まる以前でしたし、またライトノベル特有の軽さ、軽妙さというようなものはありません。一応本屋さんでは、普通の文学作品の「お」の部分と、ライトノベルの両方に置いています。
 ライトノベルには文体の軽妙さというものが特徴として考えられるでしょう。この作品でも文体が重要になってくると私は思います。小野不由美の作品は、この物語がどことなく中国や朝鮮、日本など東洋的な文化の上になりたっているという感覚があります。そうして、その雰囲気を支えているのが、漢詩に裏付けられた漢文調の文体なのです。
 また大まかなストーリー、異世界へ行って冒険をするという枠組みだけを考えれば、ライトノベルというジャンルに集約することが出来るかもしれませんが、しかし、主人公陽子の苦悩や葛藤というものは、通常の作品でさえ見苦しいほどに極めて困難な状態の連続が続きます。十二国記という異世界では、彼らにとっての異世界、つまり中国や日本からきた人間は災厄を呼ぶとして、役人に連れていかれ酷い場合には処刑されてしまいます。陽子は、何度も異世界の住人たちの手にかかりながら命の危機を乗り越えるのです。中には、とても親切にしてくれたのにそれは、女郎屋に売ってお金にしようとしていたためという者もあり、同じく日本から何十年も前にこの世界に紛れ込んだ境遇の者も、結局は荷物を奪っていってしまったりと、人間の悪、ずるい部分の連続が炙り出されます。フィクションだから描くことができたということもあるでしょう。また1990年代にこの作品が描かれたということは、バブル経済からの物質主義、拝金主義の裏で人間の性質がどのようであったのか、そうした社会学的な面から作品を考察することもできると思います。
 物語は、そうした人間への不信を乗り越えて、この世界の救世主たる人物へと成長するという、ごくごくありふれたビルドゥングスロマーンの物語形態に集約されます。いわゆる教養小説であり、少女は一人の人間として成長する物語でもあるのです。しかし、通常の作品が異界でさまざまなできごとを通じて成長したのちに自分のいるべき世界に戻るのに対して、この作品では異世界が陽子の戻るべき場所であったということになり、今まで住んでいた日本には帰れないということになります。いずれは帰れるんだろうと予想して読んでいくと、本当に帰れないのです。これはある意味読者の期待を裏切るということになります。
 異界訪問譚として読み解くこともできますが、訪問した先の異界が実は、本来いるべき世界であったという不思議なパターンの小説です。異界訪問譚としては、陽子が麒麟に選ばれた人間であったりと、運命や宿命といったものを背負わされた存在として登場していることからも理解できるでしょう。

-終わりに-
 人間不信を乗り越えるのに、やはり相手が人間では難しいという点から、楽俊という巨大なネズミのような半獣との交流から描かれています。人間の姿にもなれるのですが、半獣というのは異界の世界においても差別の対象となる存在で、楽俊は生まれたときからずっと虐げられてきた人物だったのです。ですから、この世界のつまはじきをくらった陽子に対してもこの上なく寛大な心と、同情心を以て接しています。
 作者が女性だからという無理なことを述べてはいけないかもしれませんが、このような冒険物語で女性が主人公となるのはあまり多くはありません。不思議の国のアリスのような作品であればまだ理解ができるものの、この作品では、身体がぼろぼろになり、生死の境目を行ったり来たりするような極めて激しい冒険がなされます。このようなハードな冒険をした女性主人公が今までいたでしょうか。そうした点でも、この作品の異質性というか、独創的な部分が浮かび上がってくると思います。
 以前書いた、『魔性の子』とともに読むことをおすすめします。

小野不由美『魔性の子』試論 感想とレビュー 外伝的な作品から十二国記シリーズを読み解く

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-はじめに-
 現在、新潮社から、「完全版」として再び発売されている小野不由美作十二国記シリーズ。作品自体の、長い歴史とともに、今再び注目を集めています。十二国記シリーズは、1990年代から書き続けられている長大な作品で、2013年現在でも未完となっています。2002年には、NHKからアニメ化され、その時点でも大きな話題を呼びました。現在は、新潮社からの完全版の出版により、長い期間にわたって書き続けられていたために読者がどの順番で読んでよいのかわかりにくくなっていた面を克服し、シリーズ化されて出版されています。
小野不由美という作家自体が、とても謎めいた方で、彼女の代表的な著作はほかに、「屍鬼」シリーズなど、本格的なホラーとミステリーの要素を含んだ作品などがあります。2003年には子供向けに書かれていながら、大人も十分楽しめる妖怪を巡るミステリ小説『くらのかみ』を発表し、2002年の十二国記アニメ化などもあり、現在の若者にも知られる作家だと思います。
 しかし、これだけ長い期間作品を書いてきてしかも、かなり有名な作家であるのにもかかわらず、顔出しは一切せず、画像検索では作者と思われる画像が一枚もヒットしないというある意味偉業を成し遂げています。覆面ではないにしろ、あまりにベールに隠された謎の作家です。今回は十二国記シリーズから、新潮社の完全版ではepisode0として紹介される、本編シリーズから外れた外伝的な作品「魔性の子」を論じます。

-故国喪失者、20年前と現在-
 十二国記シリーズとしては最も異端的な作品である本作は、異界の地十二国記が作品の舞台となる作品たちを十二国記シリーズと呼ぶのに対して外伝として考えられています。また、本作には十二国記という単語も登場しないことから、小野不由美の作品を網羅した読者でないと、その連関性がわからないという点もありました。新潮社の完全版では、本作を外伝的な扱いとしながらも、episode0と位置付けることによって、作品に連関性を持たせています。
 この作品は、外伝的な要素を含んでいるということもさりながら、この作品単体だけでも作品として成立しているという点がやはり注目されると思います。簡単なあらすじを述べてば、この作品は、教育実習で自分の母校に戻ってきた主人公広瀬が、その教育実習先の母校のなかで一人異彩を放っている少年高里を巡る不可解な事件と向き合っていくという話です。この作品では十二国記という異界の地は登場しませんから、この作品だけを読むと、高里という謎の少年を巡る不可解な事件、超自然的な現象を追っていくという、日本的な妖怪の悪行を暴いていくというホラーミステリーになります。

 この作品の代表的な登場人物、主人公の広瀬と、謎の少年の高里には、ある共通点があります。それは自分たちが、どこか本来は別の地にいるべき存在であるという感覚です。故国喪失者というキーワードが作中でも登場しますが、彼らは別の本来自分たちがいるべき地を知っているために、現在いる場所が、不自然に思えてしょうがないという葛藤や苦悩を持っている人物として描写されます。
 教育実習生である広瀬は、自分が幼いころに重い病気にかかり、死の瀬戸際まで陥ったためか、その際にいわゆる天国のような、非常に美しく、清らかな楽園を夢のなかで体感しています。彼自身には、これは夢としてはあまりにも鮮明な記憶であり、その病から立ち直った作中の現在においても、いまだそこが自分の本来いるべき場所であって、今いる場所は本来とは違う場所にいるのだということを認識し、苦悩しているのです。その描写は、冒頭から別の視点で鮮明になっています。同じく広瀬が教育実習先に行くという場面で、母校が引越しをしたために、自分の母校に帰ることは帰っているのだが、やはりそこは母校ではないという感覚が描写されています。ここからすでに、広瀬にとっては、自分がいるべき場所、いた場所に戻るということができていないことを苦悩する人物として位置づけられています。

 本作が1991年に発売されているということも鑑みると、作品の主題となっている故国喪失者というテーマは、広く当時の社会にも普遍していえることではなかったのかと思います。1991年ではまだ私は生まれていなかったものですから、詳しく当時の空気、雰囲気というものはつかめませんが、バブル経済があり、経済的な側面のみ発達して、精神的な部分がおろそかにされた時代のなかで、本来私たち日本人がいるべき場所はどこなのか、自分の拠り所となる、故郷や社会はどこなのかということが不明確になり、人心が荒んだ時期だったのではないでしょうか。この作品が20年以上も前に書かれた作品であるのにもかかわらず、今読んでも全く色あせていないどころか、より切迫感を持って読者に迫ってくるものが感じられるのを思うと、当時から20年経った現在でも、いまだに我々の拠り所となる「故国」が見つかっていないという点が明らかになるのではないでしょうか。
 安倍政権となり、まるで右翼的な国家主義を目指している現在、それは故国が見つからないのを焦り、無理やり拵えられた故国にすぎないような気がします。このような拠り所が見つからない不安、そうして自分は本来ここにいるべきではないのだという苦悩や葛藤は、日本人であれば、誰もが有するであろう感覚だと思います。そうした人間の心理を見事に描いたために、この作品は読者に揺さぶりをかけてくるのです。

-高里の本性-
 故国喪失者として登場する人物は、謎の少年高里です。しかし、彼は広瀬が死の縁で夢見た世界とはことなり、本当に異界から来た存在であるということが後に判明します。この彼がもといた異世界が、十二国記であるということが、他の作品を読んでいくうちにわかるのですが、この作品だけでは、それはどこか不明です。少年高里は、彼に害を加えた人物はそれが誰であろうが、必ず何者かによって報復されるという噂があります。そのような噂があり、どうしてもクラスに馴染めていない高里。しかし、彼もまた、それを撮りとめて気にするような人物ではありません。ですが、その取り澄ましたような態度が逆効果となって、他のクラスの人間に反感を与えるということになるのです。
 たとえば、大したことのない冗談やからかいであっても、高里にそうした害を加えたものは、必ず近いうちに釘が手に刺さったり、骨折などの怪我をしたりします。とてもその冗談やからかいには付き合わないほどの重い罰が下されるのです。そのような怪奇現象を目の当たりにして、怯える生徒もいれば、反対にそのようなものは偶然だといって、半分は肝試しのような側面があるものの、半分は友情として、高里にはそのようなジンクスはないのだということを証明してあげるために高里に対して毅然と立ち向かっていく生徒も現れます。高里を殴ってもなんの問題もない、それは高里自身もわかっているのだということを述べ、高里のためにと思って彼を殴った生徒はしかし、高里自身はその生徒に感謝していたものの、体育の授業中に全員の人間の下敷きとなり、死亡します。高里の報復が人を殺してしまったことや、それが彼の意志とは異なった部分で働いている力であるということが判明してきて広瀬は、高里との同居生活をし始めます。高里には、かつて神隠しにあったという過去があり、そのことも含めて彼の家族からは敬遠されていました。
 人を殺してしまったということもあり、自分の子供が怖くなった高里の家族は、彼を守るということを放棄します。そうしてやむなく広瀬の内に泊まるようになった高里ですが、そこでふたたび悲劇が起こるのです。高里の家族がまるで獣に襲われたかのように惨殺されるということが起こります。
このようにして高里を巡る人間がどんどん殺されていくという事態のなかで、広瀬もまた彼に恐怖せざるを得ません。しかし、唯一故国喪失者という点で彼との共通点を持っていて、彼と分かり合えると信じていた広瀬は高里を最後まで守ります。しかしその広瀬でさえ高里に憑いている何かに一度襲われるのです。高里がその場に居合わせ、広瀬を守ったことによって広瀬は助かりますが、その時点で高里に憑いているものが、高里の意志とは関係なく、しかもどんどん残忍性を帯びてきているということが判明するのです。
 このような不可解な事件の連続は、当然メディアが放っておくわけもなく、次第に事は大事になってきます。これ以上高里を守ることができなくなり、いよいよ被害が陰惨となってくる最後になって、ようやく高里は自分の故郷を思い出すのです。自分が本来なにものであり、自分を守護していたものたちが何だったのかを思い出し、自分の故国へと帰っていくという点でこの物語は幕を閉じます。
 彼の理解者であり、最後まで援助しつづけた主人公の広瀬は、自分の故国へ帰ろうとしている高里に対して、自分を置いていかないでくれ、自分も連れて行ってくれと懇願します。しかし、高里は広瀬のいる場所は、これから自分が行く場所ではなくて、この世界なのだということを述べて消えていきます。

-終わりに-
 主人公である広瀬が、結局は自分の故国には帰れない、しかもその故国はより実際には存在しないという可能性が強く打ちつけられて幕を閉じるこの作品は、最後は広瀬も自分の故国を見つけられるのではないかという読者の予想を打ち破り、その点ではバッドエンドになっています。この作品では、故国に帰れる高里も、それまで自分の記憶がなくなっていたために、かなりの無益な人々を殺してしまったという思いもあり、誰も救われない作品となっています。ここには、人間の倫理観や道徳観を越えた、一種生物界の弱肉強食のような論理が横たわっているのだと感じました。
 十二国記シリーズとは一種かけ離れた作品でありながら、この作品は他の作品よりも発表された時期は早いです。ですから、この時点から、これからの作品の大まかなストーリーを創造していたのだと考えると、その作品を越えた大きな伏線に、作者の技量の高さを感じさせられます。ここで登場した高里が登場し、主人公となるのは、episode2となる『東の海神 西の滄海』です。ここでは、十二国記という異世界の側から描いた高里の異なった側面が描かれます。

参考、十二国記新潮社公式サイト
http://www.shinchosha.co.jp/12kokuki/
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Author:幽玄

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