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アニメ映画『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』試論-6- 感想とレビュー どう解釈していくか 分析・ネタバレ・考察

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-赤木リツコ、蓮舫化-
 私たち観客は、この作品がシンジ視点で描かれるということもあり、14年の空白を知らない側の人間です。その間に起こったことは、簡単に言えば破のラストに流れた予告に集約されていることでしょう。
 リツコの髪がベリーショートになっていたということから。
 リツコ博士はもとからボブスタイルですから、あまり長いとは言えません。しかし、14年経った今、蓮舫のような髪型になっています。私はこれを蓮舫化と呼んでいるのですが、髪をこのようにばっさりときってしまう、ましてやかりあげてしまうということは、女性一般にとっては、かつての過去の女を捨てるということを意味しているのではないでしょうか。アニメ版や、旧劇場版とは同一線上の時系列になっていないとしても、あのゲンドウの女としてネルフで暗躍していたころの自分とは決別して、男の所有物である女を捨て、新しい自己を手に入れたということでしょう。そうして、同僚でもあり、親友でもあり、ライバルでもあった葛城ミサトとともに、ネルフを離れ、ヴィレを組織。
 これはかつてのネルフの立ち上げ時の状況に似ています。同僚ではありませんでしたが、多く指摘されていることは、ネルフのゲンドウと冬月の関係と、ヴィレのミサトとリツコの関係がにているということです。リツコはゲンドウのもと、ネルフの表ざたにはならない計画を進める裏の人間でした。しかし、それから決別し、ミサトのサポーターに徹することによって、現在の状況になりました。赤木ナオコが女としての自分に負けたことによって自殺したことに対して、旧劇場版ではそのあとを追うように女として利用されたリツコですが、髪をあのようにカットして過去と決別するということは、おそらく同時に女としてのリツコも棄てていると考えられます。ですから、今までライバル視していたミサトに対しても、奪い合う男、梶がいなくなったことも含めて女として張り合う必要がなくなったのだろうと私はおもいます。
 こういう見方をすると、冬月先生がゲンドウと行動を共にしたのも、男同志のユイの取り合いから、身を引いたということになるでしょう。

-冬月先生-
 今回の冬月先生は、計画書をもはや持っていないようにも感じられます。
冬月「ゼーレはまだ、沈黙を守ったままか」
ゲンドウ「人類補完計画は死海文書通りに遂行される。もはや我々と語る必要はない」
冬月「碇、今度は第13号機を使うつもりか?」
冬月「まあいい。俺はお前の計画についていくだけだ。ユイ君のためにもな」
もはや諦念と言ってもいいような、人生に疲れてしまった雰囲気を与えました。それは単に年をとったということなのでしょうか。
そんな冬月先生の趣味が今回初めて明かされるわけですが、なんと将棋を打つと明言してしまいました。これがネットで大分話題を呼んだようです。私はシンジ君レベルしか将棋ができませんから、どちらが適当なのかわからないのですが、正しくは将棋は指すものだそうです。
http://d.hatena.ne.jp/sangencyaya/20070410/1176210594参考ブログ

「第3の少年。将棋は打てるか?」「結構だ。付き合いたまえ。飛車角金は落としてやる」
今までシンジに対して、ここまで冷たい言動はありませんでした。第三の少年と固有名詞も使わずにシンジのことを呼ぶということに、多くの人間が違和感を感じたでしょう。
「三十一手先で、君の詰みだ」
これもネットで話題を呼んだ問題の一つです。三十一という数字がなぜ突然でてくるのか、これを謎に思った人々が調べたところ、ちょうど三十一分後にカヲル君が死ぬという場面になるようです。私も時計をもっていって測りましたが、たしかに三十一分経過していました。ただ、三十一という数字は、他にも月と関わりを持っていると指摘しておきます。エヴァという作品は、月をモチーフにしていますから、月との関連性もあると私はおもいます。つまり、月は最大でも31日で終わるわけです。だから、どのみち「終わる」という意味づけがここにされているのではないでしょうか。

 冬月先生がおもむろに出した写真。これもまた多くの議論を呼びました。先に会話から見て行きましょう。
シンジ「!この人は・・・綾波?」
冬月「君の母親だ。旧姓は『綾波ユイ』大学では私の教え子だった。今は、エヴァ初号機の制御システムとなっている」
シンジ「!!」
冬月「うむ。ようやく電源が復旧したか。「ヱヴァのごく初期型制御システムだ。ここでユイ君が発案したコアへのダイレクトエントリーを自らが被験者となり試みた。君も見ていたよ。記憶が消去されているがな。結果、ユイ君はここで消え、彼女の情報だけが綾波シリーズに残された。君の知っている綾波レイはユイ君の複製体の一つだ。その娘も君の母親同様、初号機の中に保存されている。すべては碇の計画だよ」
シンジ「そんな・・・」
冬月「世界を崩すの事は造作もない。だが、作り直すとなるとそうもいかん。時と同じく、世界に可逆性はないからな。人の心にも・・・。だから今、碇は自分の願いを叶えるためにあらゆる犠牲を払っている。自分の魂もだ。君には少し、真実を伝えておきたかった。父親の事も・・・」

 ここでは、ユイの旧姓が『綾波』であったことが判明します。アニメ版では、旧姓は『碇』でした。六分儀ゲンドウがユイと結婚して、『碇』の姓を名乗っていました。それが、新劇場版では『碇』と『綾波』が結婚して『碇』になっています。『綾波』の姓が一体どこからきたのか謎だったアニメ版とは違い、『綾波』はユイの旧姓に変化しました。ここが大きな違いです。
 また、このセリフから、ミサトとリツコがシンジには嘘をついている可能性も上がります。初号機のなかにはシンジとレコーダーしかなかったというのが彼女たちの説明でしたが、おそらく初号機には冬月先生の言葉が正しければレイがまだはいっていると考えられます。また、心に可逆性がないということは、一旦ダイレクトエントリーをしてしまったら、そこから取り出すことは不可能だということなのでしょうか。そうすると、レイも本来は取り出せなかったということにもなるかもしれません。ユイが初号機のなかから出て来れないということなのかも知れません。だから、ゲンドウはユイにもう一度逢うために、引き出すことができないのなら、人類全体を一つの魂にして、ユイとふたたび逢おうとしているのだと私は思います。全部が一つになったらユイの魂がどれかもわからないのではないかとも思えますが。

-真希波・マリ・イラストリアスの正体は?-
http://d.hatena.ne.jp/type-r/20121123このブログを参考にしつつ
 水前寺清子の「365歩のマーチ」や天地真理や「グランプリの鷹」のテーマ曲を鼻歌交じりに歌うマリ。一体マリとは何者なのか、新劇場版で突然出現してきたキャラクターに誰もがとまどいました。今回のQでも、マリ自身についてはほとんど言及されず、おそらく次回作でもこのまま説明なしでつっぱしるのではないかなと私は思っています。基本的に説明しないというのが、エヴァの作品性ですから。そのテクストの空白を観客に委ねるというのが、庵野さんの作家性です。
 ただ、ひとつはエヴァの呪縛が出てきました。それからもうひとつは、冬月先生が取り出した写真、シンジを抱っこするユイの右側の赤縁の眼鏡をかけた女性が謎を呼んでいます。写真の女性は、現在アスカの母親説と、マリ説にわかれています。
 母親説というのは、つまりアニメ版ではエヴァ二号機とダイレクトエントリー後に精神崩壊を起こし、7歳のアスカがパイロットとして選ばれた日に自殺してしまった、惣流キョウコ・ツェペリンの姿であるという説です。アニメ版では自殺してしまいましたが、これはその精神崩壊を起こす前。二号機にダイレクトエントリーを試みるほどの人物であることから、研究の中枢にいただろうという予想がなりたち、それがこの女性ではという説です。
 それに対して、これはかつてのマリだという説。エヴァの呪縛によって、身体が老化しないことが判明しました。もし、この当時のマリが何歳であるかはわかりませんが、この写真に写っている前後でエヴァのパイロットになったとすると、この当時から身体年齢は変化していないことになります。コードビーストを使用するなど、マリが異常にエヴァの知識を知っていることや、ゲンドウに対して「ゲンドウ君」と親しみを込めた呼び方をしている点からも、マリがネルフ創設時から研究者として参加していた可能性があげられています。
 さらには、マリがアスカの母親だというこの二つの論を合わせたものまであります。アスカのサポートをしている点からこれを考えているようです。私はかつてのマリが写真に写っているという論が最も妥当かと思っています。

 マリの存在意義は、作品内ではいまだ明かされていませんが、作品外から論じると、これも時代を象徴したものになっていると私はおもいます。というのは、マリの特徴は、眼鏡、巨乳、語尾がニャなど、あまりにもエヴァンゲリオンという作品のなかでは極めてキャラクターづくりがあざとい存在です。これは、やはり、現代のファンが好みそうなものをわざと集約して登場させたと考えることができるのではないでしょうか。つまり、お前らが求めているのはこんなやつだろと、作者側がわざと提示した存在であるかも知れません。そうして、それはかつてのファンにエヴァの呪縛という批判をすると同時に、現代のファンに対してもこうしたキャラクターを登場させておけばいいのだろうという批判になっていると私はおもいます。
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アニメ映画『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』試論-5- 感想とレビュー どう解釈していくか 分析・ネタバレ・考察

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-AAAヴンダー-
 ニアサードインパクトから14年たち、世界の情勢は大きく変化したようです。ゼーレは魂だけの存在となり、ネルフはほぼ無人とかしました。そうして、ネルフで働いていた、またはインパクトから生き残った人々は、葛城ミサトが主体となって組織したであろうヴィレという組織に属し、更なるインパクトを防ぐためにゼーレに対抗しています。ただ、ここでやはり問題となるのが、エヴァの作品性、すなわち「セカイ系」の問題です。
 ここでは、利便性を考えて、「セカイ系」の定義をウィキペディアから引用します。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%82%AB%E3%82%A4%E7%B3%BB

「世界の危機」とは全世界あるいは宇宙規模の最終戦争や、異星人による地球侵攻などを指し、「具体的な中間項を挟むことなく」とは国家や国際機関、社会やそれに関わる人々がほとんど描写されることなく、主人公たちの行為や危機感がそのまま「世界の危機」にシンクロして描かれることを指す。セカイ系の図式に登場する「きみとぼく/社会領域/世界の危機」という3つの領域は、それぞれ「近景/中景/遠景」(別役実による)や「想像界/象徴界/現実界」(ジャック・ラカンによる)といった用語に対応させて言及されることもある。

エヴァはここでいえば、近景(シンジたちの状況)=遠景(セカイの状況)ということになります。その間にあるべき中景(社会の状況)が示されていないのです。だから、ゼーレがどのようにして、ゲンドウと冬月だけで動いているのか、他ヴィレがどうして組織されたのか、また、ヴィレ以外に生き残った人間はいないのか、などの私たちが納得できる設定をすべて省くということをしています。だから、エヴァは観客が「!?」という感情を抱き、その謎を埋めるために必死になって考えるということを繰り返してきたのです。

 先ずヴィレの主力戦艦であるAAAヴンダーを指摘します。冒頭6分の計画で、アスカは何某かの物体を回収することに成功します。この十字架状の物体には、何故か碇シンジが閉じ込められていました。まだ、確証はもてませんが、おそらく破の最後にインパクトを起こしたために、人類から危険視され、ネーメジスシリーズと呼ばれる使徒ににた存在まで保険としてかけられ、宇宙空間に放りだされていたと考えられます。ただ、この放り出したのが、誰かという問題は、非常に難しいのですが、ゲンドウひきいるネルフかゼーレかと思われます。ヴィレがやったのだとしたら、そのままほおっておけばいいことだろうと思います。ネルフの線も難しいのですが、ネーメジスシリーズが保険としてかけてあったということを考えると、ネルフかなとも思えます。アニメ版で梶さんが持ってきたスーツケースの中にはいっていたアダムは、アニメ版ではそれ以降でてきませんでしたが、映画版ではこのネーメジスシリーズをつくる媒体になっていると考えられます。漫画版ではゲンドウがそれを食べることによって使徒化しましたが。
 ゼーレがやったという線だと、ニアサードでは目標が達せられないために、一時的に覚醒するのを先延ばしにしたという理由が考えられ、これが一番納得できる考えだと私は思っています。
 さて、話が逸れましたが、ヴィレの戦艦ヴンダーには、その動力として初号機が使用されています。劇中では主機システムと呼ばれていました。おそらくここに、綾波レイは入ったままであると冬月先生のセリフから推測できます。初号機の魂には誰が入っているのかという論争がいまだ続いていますが、仮に碇ユイだとすると、さらにそこに綾波レイの魂が込められることになります。それが、原動力となっているということなのだろうと思います。
 私が指摘したいのは、エヴァらしからぬ戦艦についてです。エヴァは今までこのような戦艦を登場させませんでした。それがどうして、登場させたのかという理由の一つとしては、もちろんヤマトやナディアへのオマージュです。しかし、私が言いたいのは、世界がインパクトによって破滅した後に、赤木リツコが「希望の艦」と呼んでいる関係性から考えて、これは聖書の「ノアの箱舟」のイメージだろうということです。ノアの箱舟は、神の怒りから種族を守るためにノア一族が作った船です。インパクトという神の怒りをうけつつも、生き残った人間がそれにのって、復興をしようという状況はこの箱舟のイメージがあるのだろうと思います。そうして、「神殺しの力」と言っている部分から、ノアの箱舟はただ神の怒りから逃れるだけだったのが、このヴンダーでは自分たちを危険にさらした神にたいして牙を向けるということになるのだろうと思います。当然人間(リリス)にとっての神とは、敵(しろきつき)の神になるでしょう。

-エヴァの呪縛-
破から14年の歳月が流れたQ。しかし、そこで登場したエヴァのパイロットたちは、他のキャラクターが老けて描かれるのに対してかつての姿のまま登場します。
冒頭で
シンジ「アスカ・・・さっき14年って・・・でも、眼帯以外変わってない・・・」
アスカ「そう。エヴァの呪縛」
シンジ「呪縛・・・?」

また、終盤で
アスカ「ここじゃあL結界密度が強すぎて助けに来れないわ」
アスカ「リリンが近づけるところまで移動するわよ」
アスカ「ほら!」

このふたつから考えて、エヴァのパイロットは何らかの呪縛を受けることによって、人間ではなくなってしまったということになります。破の最後で、覚醒していくシンジにたいしてリツコが人間にもどれなくなるわといいます。おそらくここで、シンジは人間、リリンではなくなっているのでしょう。このエヴァの呪縛というのが一体なんなのかよくわかりません。
 あえて14歳という年齢にこだわる理由はなんでしょうか。かつてアニメエヴァンゲリオンが流行った際には、14歳という年齢が、ちょうど第二次成長期にあたり、新しい自己を確立する時期と重なるため、多くの心理学的なアプローチがかけられました。エヴァンゲリオンは、それぞれのパイロットがエヴァという自分の母の魂が込められている「母胎」にプラグインすることによって、つながるという母胎回帰の物語です。そこから新しい他者との関係性を構築するというのが、この物語の根幹になっていたわけです。
 新劇場版では、この14歳から変わっていないという点が重要になってくると思います。作品の外からのアプローチになりますが、「呪縛」という言葉を、監督の庵野秀明氏は、エヴァQ公開のおよそ半年前の7月14日朝日新聞のフロントランナーにて使用しています。「ウルトラマンがなかったら今の僕はない」「呪縛のようなもの」と公言しているのです。そうして、この記事には「―『エヴァ』には、現実に背を向けて、『エヴァ』という作品に逃避するファンへの批判が込められていました。そうした意識は今も変わらないですか。」という問いに対して「旧作の『エヴァ』では、僕が「娯楽」としてつくったものを、その域を越えて「依存の対象」とする人が多かった。そういう人々を増長させたことに、責任を取りたかったんです。作品自体を娯楽の域にもどしたかった。ただ、今はそれをテーマにするのは引込めています。そういう人々は言っても変わらない。やっても仕方がないことが、よくわかりました」と述べています。
 ここで「呪縛」という言葉を使用していることも鑑みると、やはり「エヴァの呪縛」というのは、作品内では当然アスカやシンジパイロットが人間ならざるものになってしまったという、キリスト教的な呪いの概念に相当しますが、作品外レベルでは、旧作「エヴァ」から同じように14年ほど経った現在においても「エヴァ」から離れることができていない「オタク」への批判であると考えることができます。

 『新世紀エヴァンゲリオン』は1995年10月4日から1996年3月27日にかけて全26話がテレビ東京系列(TXN)で放送されました。そうしてそれから12年後の2007年から新劇場版が公開。『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序EVANGELION:1.0 YOU ARE (NOT) ALONE. 』2009年『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破 EVANGELION:2.0 YOU CAN (NOT) ADVANCE.』2012年『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q EVANGELION:3.0 YOU CAN (NOT) REDO.』が公開。
 このように、アニメのファンは、当時から十数年たった現在でも、いまだに「エヴァ」のなかに自己の存在依拠をしているということが問題になっているのです。ですから、Qが全く対立した二つの評価になったのは、作家レベルでは庵野監督の思い通りであるでしょうし、また必然だったのです。新旧の作品に対して、「僕と作品とは全然別です。ただ、新作のファンは旧作と質が違う。具体的にどう違うかは言えませんが」と述べています。
 Qを肯定した人間は、私のようにテレビ版に存在依拠しなかった世代の人間でしょう。そうして、Qを否定するファンは、かつての自己の存在依拠としての「エヴァ」が、ことごとく製作者によって、ファンの存在依拠する場所を排除されてしまったことに対する怒りなのだろうと私は思います。Qはファンをはねつけていると私は感じました。それは、アニメ版の最終2話のように、自己の閉ざされた空間が描かれなくなったからです。煩悶し、悩み続け、自分の殻の内部を守っている領域が映画版ではほとんど描かれなくなりました。ですから、かつてのファンは自分たちの影を投影する場所がなくなってしまったのです。戦艦が出てきて、数少ない登場人物たちだけで勝手にすすめられるストーリーのなかに入り込めなくなってしまったということなのです。
 

アニメ映画『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』試論-4- 感想とレビュー どう解釈していくか 分析・ネタバレ・考察

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巨神兵に新たに付加された羽のイメージ

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セカンドインパクト時の羽の画像

-序・破・巨神兵・Qの流れ-
 前回は、序・破・Qの流れのなかの、空白の14年間を埋めるために『巨神兵東京に現わる 劇場版』があるということを述べました。さらに論を深めていきます。
 「巨神兵」は前回も述べたように、宮崎駿監督の『風の谷のナウシカ』に登場する架空の人口生命体です。今回の劇場版は、ここに登場したキャラクターを使用しつつも、今までにはなかった意味を付加しています。それが、ここで挙げた画像です。これは、明らかに「巨神兵」が「使徒」化しています。もともと、槍状の物体は持っていましたが、このような光る羽は付いていませんでした。そうして、これは紛れも無く「巨神兵」=「使途」にするための戦略なのです。
 破のラストで、リツコが覚醒したエヴァに対して「純粋に人の願いをかなえる、ただそれだけのために」というセリフがあります。これは、綾波レイ役を務めた林原めぐみが、ナレーションを務めた劇場版巨神兵でも、おなじようなセリフがあったと記憶しています。想像する神も、破壊する神も、人の願いをかなえるというような意味あいだったと思います。すると、やはりここでも、破のラストから巨神兵へのつながりが見られます。
 エヴァンゲリオンという作品が、碇シンジ視点で描かれるのに対して、それを客観からみたらどのように見えるのかというのが、今回の『巨神兵東京に現わる 劇場版』になると私はおもいます。映画最後の覚醒によって、途中でカヲル君に止められてしまったためにQではニアサードインパクトとよばれることになった、サードインパクトがおこります。このとき、何故か爆心地に最も近いネルフの人間が生き残り、他の地球上の大半の人間がQでは巨人化しています。ここは、まだ謎が多い部分ですので、他に譲ります。

 ネルフ関係者でない人間にとっては、何気ない日常が突然崩壊で終わるという、まったくとんでもないことがおこるわけですが、それをあくまで名もない一市民の視点から見たのが、この劇場版なのです。ですから、あの弟としてあらわれる幻影は、ひとつには聖書的な天使のイメージがあります。予言をつたえにきたということです。また、人間が破滅を望んでいるというような旨のセリフがありましたが、それは恐らく種として限界に達した我々人類が感じる、リビドーに対するタナトスのようなものであったのかも知れません。この映画は、エヴァと比較せず、一つの作品として考えた際にも、非常に多義的に解釈できます。例えば、3・11による破壊をもういちど映像化して保存しておくということによって、われわれにあれを忘れるなよという警告をしているということです。
 話が戻りますが、エヴァQでは、サードインパクトによって人間は個としての限界まで強制的に発達させられたとされています。それが、暗い描写だったのでわかりにくかったのですが、町中に残存していた巨人たちです。どれもみんなエヴァシリーズのような格好をしていました。ですから、個としての限界の形態がエヴァであるという指摘もできます。そうして、これは劇場版巨神兵と比較した際には、あの巨神兵が、使徒でもあり、人類でもあったということが出来るのです。
 つまり、破壊を望んだ人間によって登場した使徒、これは紛れも無くエヴァの使徒と同質でありながら、また同時に人類そのものでもあるわけです。自ら種の破滅を願ったということです。そうして、巨人化して地球を滅ぼした挙句、人類は破滅。次の新しい生命が生まれることを待つということになります。


-人類補完計画-
http://homepage3.nifty.com/kiraboshi2/Abraxas/Seele_vs_Nerv.html
 先ずは、このサイトを閲覧することを薦めます。ここでは、ゼーレとネルフのすすめていた人類補完計画について、詳しく考察され、結論としてゼーレとネルフがやっていたことは同じだということを論じています。アニメ版、ならびに旧劇場版では、私もこの式が成り立つと思います。ただ、今回の新劇場版では、多少勝手が違ってきます。
 
ゲンドウ「死海文書の契約改定の時が来ました。これでお別れです」
ゲンドウ「あなた方も魂の形を変えたとはいえ、知恵の実を与えられた生命体だ」
ゲンドウ「悠久の時を生きることは出来ても、われわれと同じく訪れる死からは逃れられない」
ゲンドウ「死を背負った群れの進化を進めるために、あなた方は我々に文明を与えてくれた」
ゲンドウ「人類を代表し、感謝します」
ゲンドウ「死をもって、あなたがたの魂をあるべきところへ帰しましょう」
ゲンドウ「宿願たる人類補完計画と、定款された神殺しは私が行います。ご安心を」
キール「我らの願いは既にかなった。良い。すべてこれで良い。人類の補完。やすらかな魂の浄化を願う」

 ゲンドウが、沈黙を続けているゼーレの人間(生物学上のヒトかどうか別として)をなんらかの、支配下においていることがわかります。ここでは、すでに人間としてのからだは失われているようです。魂のみが保管されているという状況なのだろうと思いますが、そのゼーレの人間をあるべきところに帰すといいます。これはガフの扉とよばれる魂のいれものを指しているのでしょう。そうして、キールは既に願いが叶っていると言っています。
 アニメ、旧劇場版ではほとんど到達目的が客観視した場合差異のない人類補完計画でしたが、ここでは明確に、ゼーレの計画と、ゲンドウの計画が変わってきています。ゼーレはあくまでシンジが破の最後におこしたニア・サードインパクトで満足してます(しているように見せかけています。詳しくは後で述べます)。それはカヲル君のいうところの「この星での大量絶滅は珍しいことじゃない」のことでしょう。ゼーレの補完計画はこの先の新たな生命の誕生までは視野にいれていないということがここから読み取れると思います。
 
 ゼーレの後ろ盾を失ったネルフが、しかも、ミサトやリツコたち中間の人間を大量にうしなったうえでどのようにして存続しているのかはまったくの不明です。年をとったゲンドウと冬月と、綾波レイとされる少女がいるだけで、他に人影はいません。もうほとんど人力を失ってしまったネルフが、それでも計画の続行をできる理由というのは、すでに彼らの補完計画が、人力を必要としなくなったと考えるほかありません。

シンジ「操縦が効かない!どうなっちゃったんだ!?カヲル君!」
シンジ「カヲル君!」
カヲル「まさか第一使徒の僕が13番目の使徒に落とされるとは・・・」
シンジ「何言ってるの?カヲル君!」
カヲル「始まりと終わりは同じというわけか・・・さすがリリンの王。シンジ君の父上だ・・・」
マリ「DSSチョーカーのパターン青!?無いはずの13番目?ゲンドウ君の狙いはこれか・・・!」

DSSチョーカーは、本来シンジが覚醒して再びインパクト、すなわちフォースインパクトを起こすのを阻止するためにヴィレが付けたものです。しかし、それを見越してたのがゲンドウだったと考えるほうが自然でしょう。ヴィレがいずれシンジにチョーカーをつける。そうして、それを罪を引き受けるという極めてキリスト教的な行為を通じて、カヲル君がチョーカーをつけることを知っていた。このチョーカーがどのようにして作られたのかはわかりませんが、チョーカーがtypeblueと発すると同時にカヲル君が13番目の使徒に落とされるので、チョーカー自体が13番目の使徒を作るための装置であったことがわかります。これは恐らくヴィレが仕組んでいたということよりは、何らかのかたちでゲンドウが工作していたと考えるのが自然です。

アスカ「こいつ!疑似シン化形態を超えている!」
マリ「覚醒したみたいね・・・アダムスの生き残りが!」

シンジ「なんだこれ・・・」
シンジ「なんなんだよこれ・・・」
シンジ「僕のせいなのか・・・」
シンジ「僕が槍を抜いたから・・・!」
カヲル「フォースインパクト。その始まりの儀式さ」
シンジ「カヲル君!首輪が!」
シンジ「うわっ!ミサトさん!?」

 破では、月のゼーレの施設で建造されていたエヴァMKⅥ。カヲル君は破の最後に、カシウスの槍という(何の意味があるのかまだ不明ですが)槍を放つことによってガフの扉を閉めます。ちなみに、このガフの扉というのは、エヴァ作品内での想像上のものではなく、宗教的に魂がある場所という意味があるようです。このガフの扉というところに、仮に魂が戻り、そこから出たり入ったりしているのであれば、カヲル君はループの話でもしたように、このガフの扉から出たり入ったりできる特権的な地位にいることがわかります。ガフの扉を閉めることができたのも、こうした特権的な力があったからでしょう。そうして、それは彼自身もわかっています。ですから、再び開いたガフの扉を、自分が閉めようと言い出すのです。

シンジ「僕のせいなのか・・・僕が、僕が・・・」
カヲル「君のせいじゃない」
シンジ「えっ」
カヲル「僕が第13の使途になってしまったからね。僕がトリガーだ」
シンジ「どうしよう・・・ねえ、どうしよう・・・カヲル君、僕はどうしたらいいの・・・?」
カヲル「魂が消えても願いと呪いはこの世界に残る。意志は情報として世界を伝い、変えていく。いつか自分自身の事も書き換えていくんだ」
カヲル「ごめん。これは君の望む幸せではなかった。ガフの扉は僕が閉じる。シンジ君が心配することはない」
シンジ「カヲル君・・・カヲル君が何を言っているのか分からないよ!」
カヲル「シンジ君は安らぎと自分の場所を見つければいい」
カヲル「円(縁?)が君を導くだろう」
カヲル「そんな顔をしないで。また会えるよ、シンジ君」
シンジ「カヲル君!!」

マリ「ガフの扉がまだ閉じない!わんこ君がゼーレの保険か!」
マリ「後始末は済んだ!しっかりしろわんこ君!」
マリ「ぐずるな!せめて姫を助けろ!男だろ!!」
マリ「ついでに・・・ちょっとは世間を知るんだ!」

冬月「ひどい有様だな。ほとんどがゼーレの目論見通りだ」
ゲンドウ「だが、ゼーレの少年を排除し、第13号機も覚醒へと導いた。葛城大佐の動きも計算内だ。今はこれでいい」

リツコ「誰のおかげか分からないけど、フォースは止まった。ミサト・・・今はそれで良しとしましょう」

 この項では、補完計画について述べてきました。そうして、ゼーレの補完計画が人類の滅亡であることがわかりました。先ほど、ゼーレはすでに満足しているようなふりをキールがしていましたが、カヲル君がガフの扉を閉めようとした際にわんこ君ゼーレの保険になっていて閉まらなかったという点を考えると、ゼーレはフォースインパクトまでが目的だったのだろうと察せられます。
 そうして、それをマリは止めることに成功するのですが、この状態はほとんどゼーレの目論見どおりであると冬月は言います。ですから、やはり人類の滅亡がゼーレにとっての計画だったのでしょう。カヲルはゼーレから派遣された存在でありながら、ガフの扉を閉めようとしたということはゼーレを裏切ったということになるでしょう。これは、カヲル君がゼーレよりも、シンジ救済を目的としていたからであると考えられます。そうして、ゼーレとネルフ(ゲンドウ)は、カヲルがゼーレを裏切ってシンジ救済の行動に走ると予測していました。だから、特権的な力を持つはずのカヲル君はガフの扉を閉められないように、ゼーレに仕組まれていたのです。

アニメ映画『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』試論-3- 感想とレビュー どう解釈していくか 分析・ネタバレ・考察

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-『巨神兵東京に現わる 劇場版』をどう読み解くか-
 今回の新劇場版は、極めて異例な二部構成になっていました。庵野監督と宮崎監督の交流は深く、その一端を以前紹介しましたからその点に関しは割愛します。庵野さんが、着目したのはなによりも、世界をわずか一週間、7日間で滅ぼしたとされる巨神兵。
(Wikiより)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%A8%E7%A5%9E%E5%85%B5
1000年前に産業文明を崩壊させた「火の七日間」で世界を焼き払ったといわれる巨大な人型人工生命体。
という設定になっています。庵野監督が天空の城や、そのロボット、或は他のジブリ作品に登場するものではなく、「巨神兵」を選んだというのは、非常に重要な意味を持つと思います。庵野さん自身は作家レベルで言えば、1983年に、宮崎駿監督の『風の谷のナウシカ』に抜擢されていますから、庵野監督にとっても、はじめて宮崎監督と一緒に仕事をした言わば、記念すべき作品でもあるわけです。そのため、そこに込める思いが大きかったのは確かでしょう。
 なぜ今あえて実写なのかという問題があります。これは、2012年7月14日の朝日新聞よりフロントランナーを引用しつつ論じます。要約すると、庵野さんは、「ウルトラマン」を見て育ったといっています。「ウルトラマンがいなかったら今の僕はいない」「呪縛みたいなもの」と述べています。「呪縛」ということばを半年ほど前の記事にあったのを発見して、今大変びっくりしているのですが、これについては後で述べます。
 あえて実写でやるのは、ある意味彼にとってのオマージュでもあるでしょう。オマージュというのは、「まねする」のように捉えられている感じがありますが、本来の意味は「尊敬・敬意・讃辞」などです。(広辞苑より)
 自分の少年時代を築いてくれた特撮ものへの尊敬が今でも彼にあるわけです。だから、あえてCGを使用しないという課題を設けて撮影したということになります。

 -巨神兵の意味性-
 1000年前に産業文明を崩壊させた「火の七日間」で世界を焼き払ったといわれる巨大な人型人工生命体。
ここから論じられることは、まず文明社会を滅ぼしたという点。エヴァもその根本にあるのは、人間が人間の領域を超えて神になろうとしたことによるセカンドインパクトという代償です。そもそもエヴァの世界の根幹にあるキリスト教では、人間が神の所有する実を食べてしまったことから罪が始まります。
 人間が人間であるという意識を忘れて、或はそれを超えようとした際に罪が生じるのです。バベルの塔もしかりです。そうして、増長した人間を静めるのは何かというと、神の怒り、裁きということになります。聖書で言えば、洪水だったり、言語が異なってしまったりしたわけです。エヴァで言えば、それはセカンドインパクトでしょう。地球規模で人間が滅びてしまった。アニメ版では、南極で冬月先生が重すぎる代償だという旨の言葉を発しています。
 それが、現代で言えばこの巨神兵になるわけです。これだけ発達した現在の日本。しかし、私たち人間はこの発達をあたりまえのことと考え、他の自然や動物をないがしろにして、極めてエゴ的な発展をしてきました。その結果が、このような破壊の神を呼ぶことになって、全ての滅亡を導いたのです。フロントランナーの記事には3・11への言及もあります。ですから、この作品のおける「破壊」が3・11の影響を受けているということがいえると私は思います。
 ある意味では、「破壊」を描くということは、ふたたび3・11の状況を蘇らせるということでもあります。私たちはあのような災害を経験しましたが、東京の人間はすぐにそれを忘れているのかも知れません。人間は辛いことを忘れていかなければ生きていきませんから、ある意味では仕方のないことでしょう。しかし、やはり忘れてはいけない、そういう主張もこの作品から読み取ることが出来ると私は考えます。

 そうして、「火の七日間」という時間の設定。劇場版でも言及されていますが、これは明らかに聖書の最初を意識したものです。聖書の創世記では、1章から2章にかけて、神が七日間でこの世界を作ったことが記されています。そうして、この破壊の神は反対に七日間で世界を滅ぼすのです。
 もう一つ巨神兵で確認しておきたいのが、「巨大な人型人工生命体」であるという点。私は神と名がつくのでナウシカ内でも神的な存在として存在しているのだろうと思っていたら、人工生命体だったので大変おどろいています。この設定はそのままエヴァンゲリオンの「EVAシリーズ」にも当てはまります。よく勘違いされるのが、「エヴァ」は「ロボット」だろうという考えです。これは完全にガンダムやマクロスなどのロボットアニメの系譜から考えられたことによります。しかし、実はエヴァはロボットではない。人口生命体なのです。しかし、エヴァはある意味生きているのに動かない。そこがこの作品の重要な問題になってくるのですが、ここではそれは割愛します。
 『巨神兵東京に現わる 劇場版』においては、もともと人工物である巨神兵が神と位置づけられているという点が決して軽くない意味を持つと私は思います。劇場版では、ナウシカにはなかった「羽」が付加されています。これは、完全に「エヴァ」における「使徒」のモチーフと重なります。そうして、世界がこの「使徒」=「巨神兵」に滅ぼされるということが、『巨神兵東京に現わる 劇場版』と『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』というテクストを繋ぐ重要な問題になっていると私はおもいます。

-『巨神兵東京に現わる 劇場版』と『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』の関係性-
 今回のエヴァで問題となるのが、新劇場版「序」「破」「Q」の時間の問題です。「序」「破」はアニメ版のリメイクのような感じの映画でした。多少細部に変更があるものの、ほとんど同じであるということから、これはアニメ版の映画化として考えてもいいでしょう。問題はその後です。「破」の最後にシンジは綾波を救うために、使徒と接触することによりガフの扉を開き、ニア・サードインパクトを起こしてしまいます。ただ、映画ではすぐにカヲル君がカシウスの槍を投下して鎮火させたようにも見えました。
 しかし、いざ目覚めてみたらなんということか、14年もの時間が経過して、しかもあの時のニア・サードインパクトのせいで世界中がめちゃくちゃ。しかも実際は綾波を救えてなかったということになります。
 一番の問題はこの14年の空白です。四部作ということで、物語の最も原始的な運び方、「起承転結」を用いていると考えられるこの作品は、ちょうど「転」にあたります。物語が転ぶことによって一旦別の部分からアプローチをかけ、再び物語をすすめるということになりますが、転びすぎてしまって一体どこに転んだのか、戻ってこれるのか?ということが観客の不安と無理解を招きました。
 「結」にあたる部分が「:|| (反復記号)」ということもあり、本当に結びになるか信じられないという点も指摘しておきます。

 さて、この空白の14年。これが一番の問題になるわけです。一応その間に何が起きたのかは、カヲル君によって間接的に説明はされます。しかし、何も知らない我々観客にとってはその程度の説明で満足できるはずはありません。ただ、エヴァという作品を考えた際に、何が起きたのかということは恐らく「:|| 」で説明されるとは考えられません。これ以上の説明は恐らくないでしょう。そもそも、アニメ自体が始まった時にすでにセカンドインパクトというわけのわからないものが起こったあとの世界であるという極めて説明不足な設定からスタートしています。
 では、この空白の14年をどう考えるか、それが問題になるのです。そうして、私はこの問題の解決の糸口は、同時公開した『巨神兵東京に現わる 劇場版』にこそあると思います。
 やはり、この映画に敢えて『巨神兵東京に現わる 劇場版』を持ってきて二部構成にする・またナレーションをエヴァで綾波レイを担当した林原めぐみが起用されている点も、観客にエヴァとの関係性をなんらかの形でイメージしてもらいたかったのだろうと考えます。

 これだけ話題性があり、意味性のある作品が放送されていながら、いまだに全ナレーションを公開したサイトがないのは、探していて不思議に感じました。一方では、「アルアル」だとか「酷い」という非難があり、また、他方では「すばらしい」と全く正反対の意見がネットをにぎわせています。
 空白の14年になにがあったのか。これはカヲル君のセリフからもわかりますし、また地上は放送された6分間の映像からも、地球の海がすべて真っ赤になってしまっていることからも、ニア・サードインパクトがおきたということがわかります。後にゼーレの人間が、なんらかの形で魂を保管されていて、ゲンドウと冬月に停止させられるという描写があります。ここで、アニメ版でキーツの役を担っていたゼーレの代表的な役割を果たしているであろう人物は、正確な文言を忘れましたが、すでに自分たちの願いは叶った、という旨の言葉を発しています。ということは、ゼーレが進めてきた補完計画は、すでに完了しているということになると私はおもいます。
 そうして、世界ではなにが起きていたのかというと、
http://evaqnetabare.blog.so-net.ne.jp/このサイトから引用します。


カヲル「君が初号機と同化している間に起こったサードインパクトの結果だよ」
シンジ「これじゃあ、街のみんなは・・・」
カヲル「この星での大量絶滅は珍しいことじゃない」
カヲル「むしろ進化を促す面もある」
カヲル「生命とは本来、世界に合わせて自らを変えていく存在だからね」
カヲル「しかし、リリンは自らではなく、世界の方を変えていく」
カヲル「だから、自らを人工的に進化させるための儀式を起こした」
カヲル「古の生命体を贄とし、生命の実を与えた新たな生命体を作り出すためにね」
カヲル「全てが太古よりプログラムされていた絶滅行動だ。ネルフでは人類補完計画と呼んでいたよ」
シンジ「ネルフが、これを・・・父さんは何をやっているんだ・・・」
カヲル「碇シンジ君。一度覚醒し、ガフの扉を開いたエヴァ初号機はサードインパクトのトリガーとなってしまった」
カヲル「リリンの言うニアサードインパクト。全てのきっかけは君なんだよ」
シンジ「・・・!!」
シンジ「・・・違う・・・僕はただ、綾波を助けたかっただけだ・・・」
カヲル「・・・そうだね。しかしそれが原因で・・・」
シンジ「そんな・・・僕は知らないよ!そんなこと急に言われたってどうしようもないよ!!」
カヲル「そう。どうしようもない君の過去。君が知りたかった真実だ」
カヲル「結果として、リリンは君に罪の代償を与えた。それが、その首のものじゃないのかい?」
シンジ「罪だなんて・・・何もしてないよ!僕は関係ないよ!!」
カヲル「君になくても他人からはあるのさ。ただ、償えない罪はない。希望は残っているよ。どんな時にもね」

 つまり、劇場版破で月からエヴァマークⅥに乗ってきたカヲル君がカシウスの槍でシンジの覚醒を食い止めたと思われていたものの、ガフの扉は閉まらずに、ニアサードインパクトが起きてしまっていたということです。しかし、あくまでエヴァは小説にしたら、シンジ視点で描かれている物語です。ですから、私たち観客は、シンジが覚醒したあと、もういちど目覚めるまで(すなわちQの冒頭まで)の時間になにがあったのかわからないわけです。
 そうして、その間に起こったニアサードインパクトを象徴的に表現したのが、この『巨神兵東京に現わる 劇場版』であるというのが、私の論です。



アニメ映画『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』試論-2,5- 感想とレビュー どう解釈していくか 分析・ネタバレ・考察

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-「惣流」と「式波」のアスカ-

 この表記の問題は、他にも何点か指摘できます。一番問題となるのは、やはり名前が変わってしまっている「アスカ」についてでしょう。アニメ版が惣流・アスカ・ラングレーだったのに対して、劇場版では式波・アスカ・ラングレーになっています。
 エヴァの名前は、それぞれ軍艦や海に連関する名称が付けられているということは、もうすでに多くの指摘があり、公然としています。ただ、私はそちらの知識がないため、知恵袋のアンサーをヒントに考えて見ます。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1025575225
綾波・・・特型駆逐艦の11番艦
敷波・・・特型駆逐艦の12番艦
巻波・・・夕雲型駆逐艦の5番艦
戦艦ではなく駆逐艦で、これは戦艦よりもはるかに小さく沈没しやすい艦で、実際にこの3隻とも沈没しました。
アスカの旧名である「蒼龍」は空母であったため、新ヒロインを増やす過程で名前を統一したかったのかもしれません。

 どうやら、ヒロインを「波」でそろえたかったというのが一つ有力な説のようです。ヒロインの名前をそろえる必要が出て来たのは、当然マリというアニメに出てこなかった人物が出てきたからです。そうして、この三人のヒロインに共通する「波」の字。そのほかに何がこのヒロインたちに共通して考えられるのか、いまだ不明です。
 ただ、海に関わる名称ということを考えると、一つ見えてくることがあるのではないかと私は考えます。この物語は、アニメ時から、胎内回帰の物語として読み解くことが出来ます。胎内回帰は人類が持っている願望のうちの一つです。胎内こそが、もっとも安全で気持ちの良い場所であるという潜在的な意識があると現在では考えられています。
そうして、このエヴァは、どのようにして胎内回帰するかという問題をテーマに扱っています。
 また、同時に考えておきたいのは、エヴァに登場するそれぞれの機関です。胎内回帰というのはつまり女性のもとへ帰っていくということです。ですが、そこへ戻るために躍起になっている機関がなにかというと、ゼーレとネルフです。このゼーレとネルフというのは、極めて男性主権の組織です。これは、同時にホモソーシャリティの問題にもなってくると私はおもいます。
 本当は女性の中に戻りたいのに、男性主権の組織がそれを実行している。ここに、現代のホモソーシャリティへの言及があるのではないでしょうか。ある意味これは皮肉として考えられるとも思います。男性性のおろかさのようなものと、またある面では女性性がもっと主張するべきだという考えです。
 話が戻りますが、それぞれ軍艦の名前がつけられている登場人物たち。その中で、「波」というのは、軍艦の名称であると同時に、「海」そのものをも連想させます。軍艦というのは、海の上を行く船です。そうして、軍艦は武器をつんでいますし、極めて男性的なモチーフと考えることが出来ます。それに対して、「波」=「海」は、女性性のイメージです。「母なる海」という言葉もありますし、海というのはあらゆる生命の源であると同時、それは羊水のイメージともつながります。ですから、必死に海に戻りたい男性=「軍艦」と、全てを受け入れる女性=「波」という構図も考えることができると私は思います。
 このような側面から考えると、この三人の「波」を持つヒロインたちは、物語の最後に何らかを受け止め胎内回帰へのキーになる存在になる可能性も考えられます。
 
 問題を元に戻すと、「アスカ」の惣流と式波の問題は、最初に述べたエヴァとヱヴァのように、同一人物ではないのだということを示唆するものでもあると思います。≒か≠かはわかりませんが=ではないということです。ですから、劇場版のアスカは、アニメのアスカとは違うということです。何が違うかという部分がこれから考えなければならない問題です。
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