2月鑑賞目録

『子どもの「おそい・できない」にイライラしなくなる本』(PHP研究所2009)
『今どきの大人を動かす「ほめ方」のコツ29』(文響社、2016)
立石美津子『「はずれ先生」にあたったとき読む本』青春出版社 (2014
山口 敬之『総理』(幻冬舎、2016)
朝日文庫編集部 (編集)『ぐでたまの『資本論』 お金と上手につきあう人生哲学』(朝日新聞出版、2017)
青木仁志『一歩前に踏み出せる勇気の書』(アチーブメント出版、2016)

『劇場版 ポケットモンスター 結晶塔の帝王 ENTEI』(2000)

明瞭性について

ふと何かで、たしか何かの採用か何か、あるいは教職課程をとっている間に、求められる人物像といったところで聞いた言葉かもしれないが「明瞭かどうか」というような項目を以前目にしたことがあった。
明瞭かどうかなんて、なんてあやふやなんだ、と当時は思ったかもしれないし、いや、そんなことすら気にしなかったかもしれない。しかし、なんとなく頭の片隅に残っており、最近になって再びそれを思い起こすことになった。そのきっかけとなったできごとと、それを受けて考えたことを少し書いてみようと思う。

明瞭せいとはなにか。それはこうだ、と言葉で規定することはできない。まあ学習指導要領のような教科書的なものが、言葉で規定してくれるかもしれないが、言葉で規定するものには、すべては当然のことながらそのなかには含まれない、こぼれおちるものがある。少なからず、今回はその名良性の一部の側面を取り上げて全体を漠然と把握してみたい。

もとめられる人物像としての明瞭性。
なるほど、明瞭性というのは人間の特質として、とくに複雑化した現代においては必要な性格、あるいは能力のひとつなのだなあということを最近感じた。
飲食店で働いているのだが、この明瞭性の重要さを感じたのは、明瞭ではないお客さんからだ。
私は幸いなのかどうかはわからないが、小学校もまあ比較的おちついた地域の学校に行っていたし、中高は私立(年間学費百万の!)にいっていたし、大学も駒澤と、ばかはばかなりにも、大学にいけるレベルで、つねに社会の、(こういう人を差別的に考えるのはあまり好きではないけれども)中間層以上にいた。だから感じなかったのかもしれない。
客を選べないという点で、まったくのフラットな社会に出た私に、というか店に、最近、極めて不明瞭な人間が来るのである。なにをいっているのかまったくわからない。なにをたのんでいるのかまったくわからないのだ。
わかりやすいお客を例にとってみよう。
「えっと、AとBと、Cください」
それで終わりだ。非常に簡潔である。
うざい客になってくると
「A(ややいらつきながら)」
おいおい、お前はなににいらついているんだ、まだこっちはなにもしてないぞ、といいたくなる。さらにこうやって商品名だけをいってくるやからには「Aがどうかしましたか?」とたずねたくなるものだ、
せめて「Aをおねがいします」くらいは言おうな。
最上級にうざいのは、店にはいってきた瞬間、お茶も提供していない、おうかがいにもいってないのに、はいってくるなり「AとB」などといってくるやつだ。私も最近肝が据わってきたので、なんかいってきてもとりあえず無視。相手が席にたち、こちらがお茶を提供してオーダーを通す準備をととのったということをわからせてから「AとBでよろしいですか?」と聞くのだ。ふざけるな。

さて、最近来るやっかいなじいさんなのだが、これがまったくもって不明瞭なのだ。
どんな注文の頼み方をするか書いてみよう(言葉だけではわかりにくいが)
「えーっとね、あのね、あれあるかな、あれ。○○の、うん、あ、そうそう、これね、うん、でね、えーっとね、あとこれもちょうだい。そう」「AとBですね?以上でよろしいですか?」「うん」「AとB(オーダーを飛ばす)」「それからC」「Cですね」
しばらくして
「あのさ、味噌汁はふつうの味噌汁なの」「普通のと申されますと」「普通のかってきいてるんだよ」「普通がなにかよくわかりませんが」「しじみ汁とかないの」「はあ、そういったものはご用意ありません」「それじゃあさ、トン汁、トン汁はあるの」「はい、ございますよ」「じゃあそれひとつ」「トン汁をおひとつですね」
しばらくして
「並の大盛頂戴、弁当で」「はい?」「並の大盛だよ」「並の大盛とおっしゃいますと」「お肉が並みでごはんがおおもりのやつだよ、きまってんだろ」「すいません、そのような商品はございません。なみかおおもりかですね」「じゃあ並みでいいよ」
お会計時に
(オーダーを通した後に何度も注文するので伝票が何枚も)「これとこれは一緒なの」「はい?」「これとこれ一緒なのかってきいてるの」「えーとレジで合計しますので一緒です」「あ、一緒なの、そう」
万事が万事こういった感じで、まったく意味がわからないのだ。
その後も来たらしく、他の店員が対応に困っていたというのを聴いた。

こういうことからみるに、たったひとつ。飲食店で注文を通すにしても、普通の人間は普通にできるのに対して、どうやら論理構造というか、非常に不明瞭な人間は、非常に不明瞭な注文の通し方をするし、まったく要領がえない。
おそらくあのとしだからもういいものの、あれが若いころは、どうやって社会生活を営んでいたのか、あるいは認知症などにかかってしまっているのか、あるいは社会生活、通常の就労をしえて来たのか、などといろいろと疑問がわく。

まあそこまでひどくないにせよ、明瞭かどうかということは、この複雑な社会では非常に重要な視点になる。
例えば私は文学を学んだために左翼的になったので、反安倍ではあるけれども、山口敬之の『総理』を読んで思ったのは、安倍総理が確かにわかりやすいビジョンを国民に提示しているからこそ、彼が総理になりえたという事実である。またクリントンよりもトランプが勝ったのも、その明瞭性からだろう。
あるいはよくわからない複雑化したニュースをわかりやすく解説したという点で、池上彰はすばらしいということになって、テレビも彼の名が冠されたものがあるし、その本もよく売れている。
あるいは私がよくよむ哲学書であるが、ラカンなどはもはやなにをいっているかまったくわかりにくい。それに対してそれをかみ砕いて教えてくれる、たとえば仲正昌樹とか、高田明典などは非常にわかりやすい、明瞭性があるということができるだろう。

また最近感じたところでは、歯医者にかかっているのだが、いったいどのような治療をするのかというのを明確に、順を追って説明できるかどうか、というのも医者によってまったく異なるということをこの歳になって感じている。
よくわかりづらい、こちらから質問していかないとこの人がなにをどうしようとしているのかわからない医者は、わるいけれども明瞭性がないとして切った。そういう意味で、明瞭性、わかりやすいかどうか、というのは現代においてはたしかにとても重要な視点で、求められる人物像としての明瞭性は、必要な能力ということができるだろう。そういう文章をかいている私の文章は、あまり明瞭的ではなく、これ以上わかりやすく書けないところにもどかしさを感じるが。
これはうまれもった能力や論理構造に、さらにあとからトレーニングによって醸成していくものもありそうだと私は思う。

12月鑑賞目録

片田 珠美上手に「自分を守る」技術: かわす、はね返す、やりこめる
三笠書房 (2016
田中 康雄 (監修) 『大人のAD/HD 』(2009、講談社)
榊原 洋一 (著), 高山 恵子 (著)『図解 よくわかる大人のADHD』(ナツメ社 (2013)

『ルパン三世ファーストシーズン』(再)(23話、1971-72)
『ナジカ電撃作戦』(12話、2001)
『ユーリonアイス』(12話、2016)
『天使と悪魔』(2009)
『この世界の片隅に』(2016)
『老人Z』(1991)

8月 鑑賞目録

8月は3から29までハワイにいっていた。まる一月のバカンスである。
僕の頭のなかには、あのあまりにも美しすぎる名画、ヴェニスに死すのイメージでいったのだけれども、ハワイってそういうところじゃなかったのね。
しかも本当の僕の目的は、あまりにもいそがしく働きすぎていて、しかも体力がないからいつも栄養ドリンク飲んで家買ったらキューピーコーワでドーピングしまくってたら身体がめちゃくちゃつかれちゃって、リンパ腫れちゃって、あー、こりゃだめだなということで、一月休もうと思ったわけ。で、なんとなく行ったことないし、いってみたかったのでハワイにいって休もうと・・・。
しかし、止まった場所はまあホステルでやすいということもあり、若い人たちがたくさんいて、しかもハワイって貿易風が吹いているから涼しいのね、それでクーラーないわけよ。だから必然みんな窓開ける。みんなまどあけるとうるさい、だからテレビの音とかも大きくする、するとよけいにうるさくなるという悪循環でまあうるさいこと。となりのビルの話声、テレビの音、ピロティでは若い連中が酒飲んで騒いでいるし、わたしはまったく静かな環境で眠ることができなかったのね。

ハワイって一月もいってみたけど、一月もいらないところだわ。遊んだの最初の二週間。バイク借りたい車かりたりしていろいろなところにいった。島も一周してみたし、タンタラスの丘とかパンチボウルとかダイアモンドヘッドとか高い所からワイキキを制覇。ほかにもパールハーバーのほうにも三回くらい足を運んでみたね。
でも遊んだの二週間でだいぶやってしまって、まあお金もそれでぜんぶふっとんじゃったというのもあるんだけど、あとの二週間は、クラナドを全話みて、それからは重い本を全部おいていかなくちゃと思ったのでどわーと本を読んで。結局2週間で20冊くらいよんだんじゃないかな。




中沢二郎『働く、なぜ?』 (2013/講談社)
カイゾン・コーテ (著), 中津川茜『ペンタゴン式、ハードワークでも折れない心のつくりかた』A (2015/KADOKAW)
片田 珠美『怒れない人は損をする: 人生を好転させる上手な怒りの伝え方』(2015新潮社)
ジャック・シェーファー (著), マーヴィン・カーリンズ (著), 栗木 さつき (翻訳)『元FBI捜査官が教える「心を支配する」方法』(2015/大和書房)
小川 仁志 (著), 萱野 稔人 (著)『闘うための哲学書』(2014/講談社)
スマイルズの世界的名著、向上心
渡辺 順二『病気をその原因から治すホメオパシー療法入門』(2005/講談社)
笠原 嘉『精神科における予診、初診、初期治療』(2007星和書店)
伊藤守『こころの対話25のルール』(2000講談社)
海原純子『心が「きれい」になる医学元気が出るマインド・ダイエット』(講談社プラスアルファ文庫2004)
大原健士郎『あるがままに生きる 森田両方の心の処方箋』(1997/講談社)
向後善之『人間関係のレッスン』
橋本治『恋愛論』
梅田規子『生きる力はどこから来るのかー若い人たちへ、この世は見えない力で動いている』(2014/冨山房インターナショナル)
橋本治『負けない力』(2015大和書房)
苫米地英人『「イヤな気持ち」を消す技術』(2012フォレスト出版)
スマイルズの世界的名著『自助論」
西尾和美『心の傷をいやすカウンセリング366日 今日一日のアフォメーション』(1998/講談社)
大野裕『はじめての認知療法』(講談社現代新書2011)

『ズートピア』2016年
『名探偵コナン 純黒の悪夢 』2016年
『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』2016年
クラナド一期、二期(23話・2007-08、24話、2008-09)
宇宙船サジタリウス(77話、1986-87)

7月 鑑賞目録
岸見 一郎 (著), 古賀 史健 (著)『幸せになる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えII』(ダイヤモンド社2016)
横田 濱夫『12歳までに身につけたいお金の基礎教育』 (講談社文庫2004)
『機動警察パトレイバー』(アニメ、1989、47話)
『マギ シンドバッドの冒険』(2016、13話)


『映画:機動警察パトレイバー the Movie』(1989)
『ハリーポッター死の秘宝part2』(2011)
『ダイ・ハード4』(2007)
WXIII 機動警察パトレイバー 2002


『『BORUTO -NARUTO THE MOVIE-』』(2015)

生徒に語ったこと

物語りの意味
現実をそのまま把握することは難しい。人間は何かしら自分の物語をつくりあげて(例えば私はこのような生い立ちだからこのような性格で、このようにものごとを考えて)生きている。
物語りがないと人々は不安になる。物語を語れることは自分を客観視すること。震災の時など、カウンセラーや臨床心理士が最初におこなったことは、患者に自分の体験を語らせることであった。語らせることによって、自分がどのような経験をしたのかを客観視する。最初「私は」だったのが、次第に三人称的な物語りの語り方になってくる。それが癒しであり、治療である。

言葉の力
なぜ国語を勉強しなければいけないのか。私も国語、五十音を覚えるのも漢字を覚えるのも、文章を書くのも苦手だった。しかし、訓練をすればできるようになる。
言葉というのはお金と同じようなもので、所詮はツール、道具でしかない。それをたかが道具だとないがしろにすることも当人の自由である。しかしそのかわりその自由によって生じる結果については責任を持たなければならない(例えばうまくコミュニケーションをとれないとか、貧困のうちに暮らすとか)。
あきらめが肝心というけれども、あきらめとは現状を理解し、うけいれていく力。実際問題言葉をなんと思おうが、好むと好まざるとに限らず私たちは言葉、ロゴスの中でいきていかなければならないのだ。それを嫌おうが、それを嫌うということさえも、言葉で考え嫌っているのだ。どうしたってついてまわるものなのだとしたら、うまくつきあっていったほうがよくはないか。すくなくとも生きるのが楽になるのではないか、と私は思う。
他人とうまくコミュニケーションが取れずに暴力や犯罪などに走ってしまい少年院にはいっている子たちは、とにかく言葉が不自由だという。国語学という学問のなかにはその人がどれだけの単語を知っているかなどを計測したりする分野があるが、そういうものに照らし合わせてみると、少年院の子どもたちは平均よりかなり少ない言葉しかしらないのだ。
言葉をしらないとどうなるのか。人間の感情は複雑である。けれどもその複雑な感情が、「キモイ」「ウザイ」「シネ」といったごくごく限られた言葉にしかならないのである。本当はとてもつらく苦しく悲しい。なぐさめてほしく、いたわってほしい、やさしくしてほしい、愛してほしい、そういう感情がすべて単純化してしまうのである。だから自分の想いが、自分でもわからずに、どうしていいかわからなくなって暴力などになってしまう。だとしたら、自分のことを本当に知るという意味でも、言葉を獲得していかなければならないのではないか、すくなくともそのほうが豊かな人生を送れるのではないか、と私は思う。

みんなが東大の入試に受かるような国語力が必要なわけではない。ただ、自分の人生を生きていく上において、自分のことを自分でよくわかり、それを他人に伝えられるだけのことばの扱いができるようになっていたほうが、より幸せなのではないか?と思い、そういう態度を身に着けてほしいと思うのである。


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